幸せ暮らしのコツブログ

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冬のスイッチが入った日

昨日作り上げたヨーグルトケーキ。
ヨーグルトの水切りはひと晩かかるし、ケーキを固めるのにもうひと晩かかるから、
「ケーキが食べたい!」という2日越しの想いが、やっと今日。

と言いつつ実は昨日の晩に待ちきれなくて一切れ味見をしてしまったのですが……。
フライングして食べるケーキも背徳の味がして美味しかったけれど、
レシピ通りひと晩寝かせてからのきちんと固まったケーキはもっと美味しかった。


そんな今日は冬のスイッチが入った日。
昨日までは雨が降ったりして外の空気も少し暖かかったのに、一気に冷え込んでスイッチが入ってしまいました。
雪がはらはらと落ちてくる景色は1年ぶり。
冬のスイッチの造りはきっとくす玉のようで、くす玉の紐の先端に寒い空気に触れると重くなるおもりが付いていて
寒さとともにぐんと下に引っ張られる仕組みなのだろうと思うほど、あっけなく雪が降ります。
くす玉に仕掛けてあった雪は待ってましたと言わんばかりにどんどん積もって北の大地のわたしたちをびっくりさせました。


冬は日が昇っている時間が少ないことに加えて、地方によってはどんよりしたお天気でおひさまの顔が見えないこともあります。
そんな冬は無理せず過ごしていきましょう。
美味しくて甘いお菓子とコーヒーを手元に用意して、ゆっくりした午前を過ごすのもいいでしょう。
タイミングとやることをセットで決め込むルーティンと一緒に、どんな怠惰な日でも必ずやることをリスト化しておくのもおすすめです。
そうすればルーティンの時間に合わせられなくても、リストを自分のタイミングでこなしていけば罪悪感も少なく済みます。
冬はそんな工夫をしながら、あまり自分に鞭を打ちすぎず行きたいですね。

明日の朝は真っ白な世界だろうか。
真っ白な世界を窓越しに眺めながら、コーヒーをすする朝にしたいですね。

KATO

上手くいかないと思ったら読みたい【認知の歪み】まとめ


私は自己啓発生き方のコツのようなものだと思っていて、意外と身近にあるなと感じています。
自分で発見して実践している方もいると思いますし、自己啓発のノウハウを知らないことで損をしている人もいるだろうと思います。
でも、自己啓発の本って友達やともすれば電車で見かける見ず知らずの人でさえ、人に見られると恥ずかしいという印象がありませんか?

そんなものを読まなければわからないのかと思われるのではないかという恐怖がそのような気持ちにさせているんだと思います。
生きることって誰もがマニュアルなんかなしに生きているからこそ、そう思う人もいるしそう思われるのを恐怖に思う人もいるのですよね。

「生きる」ということは、衣食住だけではありません。
心が豊かであることも必要ですよね。
衣食住や仕事においてのノウハウやコツは先人たちから教えてもらえるのに、心が豊かになれる方法を先人から教えてもらわない理由はありません。
誰かが知っているなら知りたいな、と私は思うのです。

だから、心理学の【認知の歪み】と出会うきっかけがあったとき、わたしはビビビときたのでした。
【認知の歪み】についての解説をちょこっとだけしますね!

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【認知の歪み】とは

精神科医のアーロン・ベック氏が築いた基礎を弟子のデビッド・D・バーンズ氏が受け継ぎ発表した、人間の思考パターンのうちネガティブを生み出す歪んだ考え方とされる思考パターンを表す言葉です。歪んだ考え方とされるパターンが10パターンあります。この思考パターンを研究したバーンズ氏はこう話しています。

気分や感情は事実ではなく、逆に歪んだ考え方がマイナスの気分を生み出す

【認知の歪み】10の思考パターン

①全か無かの思考


真実でも真実らしくもないものに対しても「常に」「すべて」「決して~でない」という言葉を使うことが多く、グレーがなく白か黒かでしか考えることができない思考。人間関係においては、1人の人の良い側面と悪い側面の片面だけ見てその人を判断してしまう思考。
(例)Aさんはたくさん話しかけてくれたからあの人は良い人間だ。反対にBさんは一言も話しかけにきてくれなかったから悪い人間だ。

②行き過ぎた一般化


経験や根拠が不十分なままに早まった一般化をしてしまう思考。
(例)あの人に話しかけたらいつもより盛り上がらなかった。きっと私を嫌いになったに違いない。

③心のフィルター


物事全体のうち良い部分を除外して悪い部分のほうだけを見てしまう思考。
(例)今月はAさんから毎週末遊びに誘われるが、今週は誘われなかった。嫌われたのだろう。
→毎週末遊んでいるというよい事実があるにも関わらず今週末のことだけで落ち込んでいる。

④マイナス思考


上手くいったら「まぐれ」と思い、上手くいかなければ「やっぱり」と考える、よいことを無視するだけでなく悪い方にすり替える。バーンズ氏いわく認知障害の中でも最も質が悪い
(例)今回の試合に負けた。前回の試合に勝ったのもまぐれで、やっぱり自分は弱いんだ。
→今回の試合に負けたからって前回の試合での自分の功績まで称えられなくなっている。

⑤論理の飛躍


「心の読みすぎ」と「先読みの誤り」の2種類がある。
「心の読みすぎ」は、他人の行動から当人に尋ねることもなくネガティブな可能性を推測すること。最悪のケースを想像して先走ってその予防策を講じたりする思考。
(例)離れたところでAさんとBさんが話しているとき、Aさんがちらりとこちらに目をやった。私の悪口を言っているのだろう。

「先読みの誤り」は、物事が悪い結果をもたらすと推測すること。悲劇的な結論を出してしまう。
(例)放課後、いつもは話し込むAさんが今日は何も言わずにすぐに帰った。さっきの私が傷つけてしまったのかも。

⑥拡大・過小解釈


失敗や弱みや恐怖などは実際よりも大きなことと捉え、成功や強みやチャンスは実際よりも過小に評価すること。
(例)あるプロジェクトで誤字脱字があった。どうしよう自分はもう終わりだ。
課長から昇進の話をもらったが年齢相応だからそうなっただけだろう。

⑦感情の理由づけ


感情のみを根拠として考えが正しいと結論づける思考。ネガティブな感情は物事の真実を隠してネガティブ感情にリンクしたほうを現実らしく印象付ける。感情によって作り出された認知が正しいかどうかを常に検証すると脱却可能。
(例)自分が楽しくなかったのでこのブログは悪だ。

⑧「~すべき」思考


単に道徳的に「すべきである」「しなければならない」と期待すること。
(例)3人で仲良しなグループだから、私はAさんBさん両方と同じ頻度で遊ばなければならない。
→実際は各自の都合などもありそういうわけではないが、3人仲良しグループは3人が平等に仲良しでなければいけない=遊びの頻度を同じにしなければいけないと思い込むこと。

⑨レッテル貼り


②の「行き過ぎた一般化」のより深刻なケース。偶発したことでも誰かの人物像などに帰属させてネガティブなレッテルを貼ること。自他ともに間違った認知により誤った人物像を創作してしまう思考。
(例)あの人ってマメじゃないよね。→1度だけ連絡してもしばらく連絡がかえって来なかっただけなのに。

⑩誤った個人化


自分がコントロールできないような結果が起こったのに対して自分の個人的責任と捉えてしまう思考。賞賛的なものもある。
(例)Aさんが引っ越したのは自分のせいだ→Aさんはただ引っ越しただけなのにきっと自分が遊びに行き過ぎたからだなど自分のせいとして捉えすぎている。

ja.wikipedia.org
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この【認知の歪み】に出会って、いろいろ調べて分かったことが1つ。
私は①全か無かの思考、②行き過ぎた一般化、⑤結論の飛躍、⑧「~すべき」思考に思い当たる節があるなと感じましたね。
中でも⑤結論の飛躍は、そういう学名があるのかと感心してしまうほど自分にとっては日常茶飯事で、
人は考え方の癖を持っているのだなあと強く感じました。

心理学や精神科というと、心を病んでいる=病気を連想される人もいるかと思いますが、
病院に行って診断を受けていない人の中でも、育った環境や経験してきたことから考え方の癖は多かれ少なかれあるのだと思います。
だから、心理学で「こんな考え方しちゃうときあるよね」を知り、自己啓発で「こういうふうに考えたら心がすっきり生きられるよ」を学ぶことは誰にとっても大切なのかなと感じました。
私も自分の思考の傾向を知るきっかけに出会えて感動しています。
普段何気なく過ごす毎日の中でしっくりこないことや気持ちが落ち込むとき、どうして自分がそう感じたのかを紐解いてみたら、何かがあったわけではなく自分の考え方の傾向のせいでそう捉えていただけかもしれないというのが面白いですね!
学び、学問には意味があるのだなあとつくづく感じたのでした。

KATO

【エッセイ】秋の風は夏にすこし浮ついた気持ちを落ち着かせてくれる

9月になると急に、落ち着いた気持ちになることがある。
まだ少しあたたかい吹く風の中に1本の冷たい風の線を感じるからなのか、それとも空の色がどこか夏とは違うからなのか。
季節が夏から秋に傾きかけるころ、この不思議な差異は私たち人間の気持ちにも変化をもたらす。
これまで無我夢中で取り組んできたことが途端に興味なく思えてきたり、正しいと思っていたことがふと違うと思えてきたり。
そんなふうに自分の心の中に違和感が生じるのも、いつもこの季節であるように感じる。

BBQ、キャンプ、友人との約束、夜中の暴食、盛り上がりたいという気持ち。
歩かなくても先へ連れていく動く歩道みたいに、夏のそれらは私たちを何も考えずとも先へ先へと進ませる。
でも自分で歩いていないからこそ、行き着いた先に違和感を感じるのは当然といえば当然だ。
だから季節がちょうど夏から秋へと変わるとき、自分が今いる場所が自分らしい場所でないことに気づいてしまうのだ。

季節にはそれぞれの動く歩道がついていて、変わり目には乗り換えなければいけない。
その違和感に気が付かずにそれまでの季節専用動く歩道に居続けてしまうと、やがてその歩道は動きを止めて休みに入ってしまうから、
自分だけがそこに取り残されてしまうことになる。
だから変わり目の違和感を感じている間に次の動く歩道をまた選んで飛び移る必要がある。この作業は実に疲れる。
違和感を感じるということ自体、我々人間にとってはストレス要因だ。
でも違和感を感じることができた自分は正常なセンサーが働いていると感じてみよう。
自分がもっともっと先へ進むための次なるステージへ向かうタイミングに自分で気づけたことを褒めよう。

秋の風は夏にすこし浮ついた気持ちを落ち着けてくれる作用がある。
それは今いる自分の位置を確認できる絶好のチャンスであり、違和感を感じているのであれば新しい自分のステージが現れつつある証拠である。
自分の今ある状況に違和感を感じるとき、それは確実に自分が最も成長するときだ。
流れに身を任せてある程度進んだら、自分の気持ちと向き合う時間を持つことは大切だ。
秋はそれをさせてくれる。

KATO

【エッセイ】薔薇は生まれ変わっても薔薇だけれど、私たちが私たちでいられるのはこの人生だけだ。

ロミオとジュリエット』でお馴染みの名言

ロミオとジュリエットのお話の中での名セリフはこうです。

私たちが薔薇と呼ぶものは、他のどんな名前で呼んでも、同じように甘く香る

家名に縛られ愛する人とともにいられない運命に異議を唱えたジュリエットのこの言葉は、
体裁や生まれた家などに縛られて生きる必要はないというメッセージの込められた名言となりました。
自分の幸せを追い求める人生観を例えるこの言葉には、どうやらもっと深い意味があるように感じます。
今日は"薔薇”にまつわる人生観についてお話したいと思います。

薔薇は生まれ変わっても薔薇だけれど、私たちが私たちでいられるのはこの人生だけ

ジュリエット曰く、薔薇が別の名前でいても素晴らしい花であることには変わりはありません。
別の名前で生まれてもきっと美しい薔薇のように、家名はただの名であって自分の生き方を縛られるべきものではないという趣旨で受け取られるジュリエットの名言ですが、ジュリエットが薔薇を例えに使ったのは本当に薔薇が美しい生き様をしているからでしょうか。
私はもう一つの解釈があるような気がしています。
どんな名で生まれても美しく生きる薔薇は何度生まれ変わっても‟薔薇”です。
しかし人間は、例えばジュリエットとロミオは、今度生まれ変わったらジュリエットとロミオでいることはできません。
薔薇は生まれ変わっても薔薇だけれど、私たちが私たちでいられるのはこの人生だけ、そういう意味も含まれているのではないでしょうか。

薔薇は薔薇だが、ローズではない。

あなたの目の前にある薔薇は枯れたとしてもただ"薔薇”であるだけですが、私たち人間は“人間”が死ぬと同時に"誰か”が死にます。
枯れていく薔薇も咲き始めた薔薇も薔薇という植物であり、だからこそどんな名前でも薔薇として生きることが明確です。
しかしロミオはロミオとして咲き、そして終わります。ジュリエットもジュリエットとして生まれ、そしてジュリエットを終わらせます。
薔薇が例えばローズという名で生きているのではない限り薔薇と人間の間にはこの大きな差があるのです。
ある意味ジュリエットは、薔薇は別の名でも次の世も薔薇として生きることができるけれど、私たちがロミオとジュリエットとして生きられるのは今だけなのだというもっと深いことを言っていたのではないでしょうか。

人類を残すことはできても、自分を残すことは誰にもできない。

一生を終えようとしている薔薇がこの世に種を残すなら、次にもまた薔薇が咲くでしょう。
私たち人間も死ぬ前に子どもを残せば、次の世を生きる人類を残せたことになります。
しかし私たち人間は人間として生きるのと同時に自分たち自身として生きています
名前を持ち、自分という自覚を持っているのが人間です。
薔薇は生まれ変わっても薔薇ですが、人間は生まれ変わったら自分ではなくなります。
私たちは人類を残すことはできても、自分を残すことはできないのです。

自分が自分でいられる時間を大切に

私たちは今自覚している自分の名前でいられる時間が限られていることをしばしば忘れがちです。
毎日の中で起こる問題や悲しみに目を向け過ぎています。
私たちが今持つ自分自身という自意識のままに過ごせる時間が、
この一回きりの人生だけだということを自覚するときっと分かるでしょう。
今、愛するあの人とともにいられる時間が自分にとっていかに大事かということに。
自分がやりたいと思うことに今すぐにでも取り掛からなくてはならないことに。

私たちが私たちでいられる時間の尊さを忘れないでいきたいものです。


KATO

【エッセイ】いい“類友”を呼ぶいい言葉を

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「類は友を呼ぶ」このことわざの意味は「気の合った者や似通った者は自然と寄り集まる」と広辞苑にあります。意味のわかりやすい言葉である反面、日常生活では「類」だけと関わることは無謀で、必ずしも居心地のいい場所に居続けることは難しいことです。自分が興味を持っていることでなくてもその人が好感が持てる人である場合話しを楽しく聞くことができたり、逆に普段苦手意識のある人が自分の興味と一致することを話していても、それだけをきっかけに話しに入っていくのは勇気がいることでしょう。“類友”と言えども、日常生活では好きなモノ・コト以外の関係性もとても重要ということです。

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しかしSNSは真逆でした。私は何度かtwitterのアカウントを作り直したことがあります。趣味のアカウントを立ち上げるも好きなモノがどんどん増える私にとって、1つのアカウントに1つの事柄に関してだけを書き込むのが苦手でした。だから新しい興味が増えるたびにアカウントを作っていたのですが、今回も「暮らし」をテーマに作ったアカウントが早くも“類友”を呼び寄せていることに驚きました。

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いくつかの投稿にいいねをくれる人たちのアカウントを見にいくと、その人たちの投稿も興味深いものであることが多くあったのです。リアルな人間関係を築くこともやっぱりとっても楽しいですが、SNSは自分の好きなモノ・コト以外何も要らないというのが魅力です。仕事ができるかできないか、どんな顔をしているか、どんな話し方をしているかなどの情報は要りません。SNSってそういうものでしょと言われればそれまでですが、自分の好きなモノ・コトをお知らせするだけで仲間が集まる楽しさはやっぱり人を魅了するのだと思いました。

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SNSは意外と、普段気がつくことができないことに気づかせてくれたのかもしれません。簡単に自分の興味にあった仲間を集められる魅力に気がつくと同時に、こんな考えが頭をよぎりました。わたしが「暮らし」をテーマにしておらず「愚痴」をテーマにしていたらどうだろうか?と。答えはきっと、やはり仲間を集めていたでしょう。今回SNSが教えてくれたことは、“類友”が目に見える形でわかるSNSだからこそ、自分が発信するコトの精査は大切であるということです。

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好きなモノ・コトが日常よりもよりわかりやすいSNSでは“類”な仲間も集まりやすいですが、だからこそ自分の発信したコトの鏡となりやすい。でもそれは本来日常と同じなんですよね。SNSは意外と日常と隣り合わせでおんなじ世界なんだなあと感じたのでした。

【エッセイ】なりたい自分を叶えるためにパジャマを辞めたお話

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昨日のエッセイ(https://t.co/gYyRhVZKau)では、なりたい自分になるためにやるべきことを少しでも簡単にできるようにすると継続できるというお話をいたしましたが、書きながら「本当にそれって1番の近道かも」と納得がより深まる感覚があったのでそのお話をさせてください。

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というのも以前までの私は、寝る時にお気に入りのパジャマを着て眠るのが“イイ暮らし方”という固定概念から、theパジャマな寝巻きに身を包んで寝ておりました。その当時は丁寧な暮らし初心者で他の人のメソッドを真似てみている最中だったので、パジャマを着て眠ると幸福感が上がるらしいという噂を試してみることに夢中でした。しかし一方で、私の長年のテーマでもありきっと一生のテーマになるであろう“早起き”という点では、パジャマdeスリープは悩みの種になってしまったのです。

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どういうことかと言うと、パジャマで寝ることで1日の動き出しが遅くなりました。早起きが苦手な私は、単に「起きられない」というよりは目覚めた時の覚醒具合が弱いためまた眠りの世界に引き戻されてしまうという感覚です。目覚めたときの覚醒具合が弱い人種は、その後に起こる工程が複雑かつ面倒であればあるほど起きることが大義であると思ってしまいます。それとパジャマで眠ることがどう繋がっているかというと、起きた瞬間に外に出られない、着替えなどの工程を踏まないなど、やろうと思った瞬間にできないという面倒くささが、やる気のブレーキになってしまう点です。

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だから私はパジャマは辞めました。今ではリラックス感のあるトレーナーとワイドパンツがパジャマがわりです。パジャマのデザインはやっぱりパジャマを超えるものはありませんが、トレーナーやワイドパンツは素材を選べばリラックスできますし、いつ何時でもお洒落を保てます。パジャマを辞めてお洒落で着心地がいい部屋着だと起きてすぐにゴミ出しに出ても大丈夫ですし、お寝坊さんのときに突然家のチャイムが鳴っても慌てず対応できます。

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同じように私の早起きを妨害するものは、かかりすぎるメイク時間です。正直美人だったらもっと早起きがしやすいとさえ思っている私ですが、朝起きる=たくさんの工程のあるメイクをしなければならないわけで、寝起きのまだ覚醒がしていないときにそのことを考えるだけでベッドから起き上がれません。メイクは好きですが、寝起きの頭では好きなものも複雑な事柄であれば自分を奮い立たせるにはどれも弱いきっかけなのです。

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汚い見た目で活動したくないという思いが強いのなら、それを原動力にすればいいのでは?と思われがちですが、その思いが強ければ強いほどメイク工程の多さと比例するため、覚醒前の頭には起きたくない気持ちを加速させる毒でしかありません。朝の覚醒が遅い組にはご褒美作戦、切迫作戦も無効なのです。

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だからパジャマを辞めたみたいに、起きてすぐ活動できる見た目を意識して作ることが大切です。眉ティント、リップティント、髪の毛は夜によく乾かす、夜のうちに肌をよく整えるなど準備をして、ハードルの高い朝を簡単にすると理想に近づきやすくなります。理想を手に入れるためにできることは実は簡単化なのかもしれません。理想は、できてないところにいる今の自分から見て輝いて見えるモノ・コトでしょう。それは高いところにあるように見えますが、案外工夫で近づけることができることなのかも、そう改めて感じたのでした。

【エッセイ】夢や目標を掲げるも続かない私

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新年は夢や目標を立てるのにはぴったりのタイミングですが、私も御多分に洩れず何かと掲げたがる人間です。真っ白なノートを使い始めるときの感覚に似て、まっさらな年が始まるととてもワクワクします。この世に生を受けた以上、ノートみたいに飽きたら新しいものに取り替えたり気に入らないページを破いたりすることはできません。でもだからこそ、年の始まりのように“まっさら”感が強いこのタイミングで仕切り直したいと思うのは人間のよさであり当然の感覚だと思っています。

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そんな中2022年の1月ももうあと数日で終わります。思えばライターになりたいと思い活動を始めてからは4年くらい過ぎたでしょうか。活動の一つ一つはとても小さくて夢に近づいているのかどうか分からない日々を過ごすと、だんだんと心が捻くれてきて夢への道が歪んでいきました。夢や目標を考えて決めた直後は、自分が決めたことを信じて進むしかないとか、これがきっと正しい道に違いないなどといった気持ちが強いため盲目的に進むことができるのですが、なかなか目立った動きがないと心が折れますよね。

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私も続かない私が嫌になるときがたくさんあります。いくら手帳に自分の夢や目標を書いて気持ちを高めても、正直1ヶ月その気持ちが続いたことはありません。そのうちに自分が怠け者で意思の弱い人間であることに嫌悪感を抱き始めます。どんなに些細なことでも続けられないって本当に人の心を蝕みますよね。ライターになるためにと思って洋画をまとめたサイトやこの幸せ暮らしのコツブログを運営したり、公募にエッセイや小説を応募してみたり、自分の意見は書けないけれど文章をまとめる力になればと雇われライターをしてみたりしていますが、自分の夢や目標に1番近くて簡単なものしか結局続きません。これで言うと雇われライターは、お金はもらえても自分のやりたいこととは少し違う点もあるため時折長いお休みをいただくこともあります。それだけでなく決まったシステムに決まった様式で書かなくてはならないため、必ずパソコンでの作業が必須です。最初は“仕事している感”があるパソコン作業が好きだったのですが、テーブルにパソコンを用意して立ち上げてシステムを開いて…と過程が結構多く文章を書き始めるまでが長く億劫な気持ちになっていました。

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夢や目標を掲げてもモチベーションを維持することができない私にとって、やる気がアップしたタイミングは本当に貴重な瞬間です。そんな瞬間は逃すことはできません。「書きたい」というDOの気持ちが溢れたときに取り組むことはきっと夢や目標を達成するために必要なことなのでしょう。

だから実はこの投稿もスマートフォンを使うことにしました。様式が揃わないなとかパソコン作業だと充実する機能もスマートフォンではできないこともあるため綺麗さでは叶わないかもしれません。でも続けられるってきっと人の気持ちを満足させるからひとまずは続けるための策を練りたいと思います。もし同じようにモチベーションの維持に悩んでいる人がいたら、できない自分を責めるのは一旦やめて(だって頑張ってるし!成果が見えないだけできっと進んでるし!)続けることだけ考えてみるってのもいいのではないでしょうか。

【エッセイ】やる気が起きないあなたに贈るアラサーの生き方

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出典:https://unsplash.com/photos/RbjSCrgH5to

この間30歳を迎えたばかりのライフ残高3分の2の人間は思うのです。
月並みですが人生はあっという間だと。
周りにいる私の先輩たちが言う「人生あっという間」という言葉は、
そこらへんのお年の方たちが言いたい台詞
(23歳くらいの子が新入社員の子を捕まえて「若いね~」と言いたいみたいな現象)
くらいに思っていた節があったんですね。
でも実際に自分が20代後半の"アラサー"ではなく、明確な30歳に突入したときの感覚は忘れられない程衝撃的でした。

特に、当日よりもあと何日かで30歳になるという誕生日の数日前が一番ソワソワしたものです。
わたしが特に強く感じたのは、この世に何も残せていないことに関する焦りでした。

大学卒業後は企業に勤めましたが5年弱で辞めて結婚し、子なしパートタイムジョブズ
ティージョブズは偉大ですけどね。私はパートタイムの方のジョブズで。
本当はやりたいことがあってそれを目指してはいるんですけど、なかなかうまく行かない。
上手くいかないからと立ち止まって今の自分に何が足りないのか、今のやり方以外の方法はないのか、と模索していました。
しかし立ち止まってみても目の前に広がるのはYoutubeNETFLIXなどの画面ばかり。
パートだから家にいる時間が長いにも関わらず、私の時間はそういった動画サービスに巻き取られていく。
そういう毎日を過ごす私のセピア色のフィルム映画はできあがり、誰にも見られずにごみ箱に捨てられていく感覚です。

結局、立ち止まったところで意味がないのです。
30歳に私が選んでいることはそれなりに理にかなっています。
立ち止まった私が、自分の興味を整理してみるとやっぱりそれは今停滞していること関連なのです。
30年間生きてきた時間で積み重ねた"好き"や"やりたい"はそう変わりません。
だから上手くいかないからと辞めてしまったりやる気が湧かなかったりして立ち止まっても、結局戻ってきます。
でもそれはある意味30年かけて得られた貴重な事実です。

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出典:https://unsplash.com/photos/B0LhOCIS_hU

では、どうするのか?
やる気が起きない人生を変えるためにできること、それはきっと継続しかありません。
自分の目標や夢が遠すぎて、やる気の維持が難しい私ができることは継続だなんて矛盾のようにも聞こえますが、
自分の好きなものを分かっている30歳だからこそできる作戦だと信じています。
やる気が出ようが出まいが続ける
毎日の中のやらなければいけないことの1つに組み込めば習慣が私を導いてくれるでしょう。

物語をもらってばかりの人生は、少し虚しさがあります。
自分が何かを創り出す、この世に自分の物語を残す活動をしていきたいものです。

公園好きが選ぶ 暮らしの質を上げる景色が最高なおすすめ公園 in函館

はじめに

豊かな暮らしには、公園は欠かせません。散歩やジョギングで体を鍛え、リフレッシュしたり、景色を楽しんだり、お弁当を食べたり、ベンチで本を読んだり・・・。室内でできることも、外で行うだけでいい気晴らしになることもありますよね。公園はそれを叶えてくれる場所でもあります。また、少し遠めの公園に出かければ、さらにイベント感が増し、満足度が上がります。太陽の光を浴びて、美しい景色を楽しみリフレッシュする。そんな豊かな時間を叶えるのが公園です。公園好きが景色に重点を置いて選んだ、函館のおすすめ公園をご紹介します。


新型コロナウイルス流行のため、外出はなるべく少人数で、適度な間隔を保つなど、工夫をして楽しみましょう。また、制限等の関係で、情報が異なる場合がございますのでご了承ください。(2020/05/31)
※写真は全てiPhone11で撮影しています。

道南四季の杜公園

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函館 四季の杜公園 花の丘ゾーン入り口 ©KATO
四季の杜公園はいくつかゾーンがあります。
・花の丘ゾーン
・野原の丘ゾーン
・小川の里ゾーン
・里の森ゾーン
車で行く際は、自分が行きたいゾーンの駐車場に停めることをオススメします。なぜならこんなに広いから。
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函館 四季の杜公園 地図
私が今回車を停めたのは花の丘北駐車場です。ここからすぐの丘の家の先に素晴らしい景色が広がっています。
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函館 四季の杜公園 花の丘からの景色 ©KATO
写真だと小さいのですが、ここからは函館山五稜郭タワー立待岬、お向かいさんの青森の地形までもを一望できる最強スポットでもあります。生で見るともっと近くに見えますし、公園の緑も相まって、素晴らしい絶景を拝むことができます。
このゾーンはベンチがたくさんあり、休みながら散策することが可能です。函館市の花であるヤマツツジも見られます。ちなみにヤマツツジの旬は桜が終わった5月下旬から6月上旬頃だと思われます。
他のゾーンも魅力的です。野原の丘は、バーベキューができるだけでなく、芝生が広がる気持ちが良い場所です。遊具もあるため子供たちが遊ぶこともできます。里の森ゾーンの散策コースも素敵でした。軽い山道が長く続いており、誰かとおしゃべりをしながら長くダラダラと歩くのに最適です。
冒頭で目的のゾーンの近くに車を停めた方が良いとは言いましたが、公園内を散策しいろいろなゾーンを体験しながら進むのも面白いかもしれません。(ただし、結構距離があるので歩きやすい格好や水分補給の準備などをお忘れなく。)

◆各案内はこちらをご参照ください。
北海道立 道南四季の杜公園 | 道南四季の杜公園は、津軽海峡を見晴らす丘につくられた道南初の道立公園です

緑の島

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函館 緑の島 ©KATO
緑の島はライブなどが行われることもあるため、ご存知の方も多いことでしょう。ただ、緑の島はライブがなくてもその景色だけで楽しむことができる公園です。
感覚としては函館を内側からぐるっと見ている感覚になるくらい、何もかもが見えます。近くには函館山がそびえ立ち、観光名所である函館BAYエリアの建物を見ることができる側はこんな感じです。
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函館 緑の島 ベイ側 ©KATO
五稜郭タワーなど街並みが見える側はこんな感じ。
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函館 緑の島 五稜郭タワー側(小さいけれど) ©KATO
函館ドッグが近くにあるため、船仕事が近くで見られるのも見飽きないポイントかもしれません。
夕焼け時には、こんな雰囲気のある写真も撮ることができました。外国のような雰囲気ですね。
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函館 緑の島 入口 夕焼け ©KATO
ベンチも可愛いです。
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函館 緑の島 夕暮れ ベンチ ©KATO 

◆各案内はこちらをご参照ください。
緑の島 - 体験| 函館市公式観光情報サイトはこぶら

函館公園

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函館 函館公園 入口 函館山©KATO
函館山がすぐ後ろにあり、自然豊かな公園です。桜のシーズンは、露天がずらりと並び、美味しいものを食べながら桜を見られるという魅力たっぷりの場所になります。夏場は噴水で子供たちが涼む、微笑ましい場面を目にすることもしばしばありました。ちなみに、この函館公園にはなんと動物園(無料)と遊園地(有料)が併設されています!!
動物はポニーやクジャクやワシ(本当に大きくて迫力大!)、他動物たちを無料で眺めることができます。散歩をしながら動物たちに癒されることができるなんて、素晴らしい公園ですね。

また、谷地頭に程近いため、少し足を伸ばせば函館八幡宮に行くことができます。ここは青々とした山に囲まれ、さらには反対側奥には海が広がる自然豊かなスポットの一つです。近くに熱い湯の温泉がありますよ。

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函館 函館八幡宮 鳥居 ©KATO

◆各案内はこちらをご参照ください。
函館公園 | 一般財団法人 函館市住宅都市施設公社

見晴公園(香雪園

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函館 香雪園(見晴公園) 入口 ©KATO

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函館 見晴公園(香雪園) 入口 ©KATO
二つの呼び名があるこの公園。見晴公園の中に香雪園という有名な庭園があります。
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函館 香雪園(見晴公園) 名勝旧岩船氏庭園 ©KATO

見晴公園は見事な紅葉スポットととして有名です。しかし!紅葉シーズンだけでない魅力があるのです。
例えばこちらの木漏れ日をご覧ください。

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函館 香雪園(見晴公園) 木漏れ日 ©KATO
こちらの公園の良いところは、木々が密集しているというところ。見上げると木々がそれぞれ広げた枝が葉を豊かに纏い、青空を緑に変えるほどに密集しています。
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函館 香雪園(見晴公園) 杉 ©KATO
夏でも園内だけは涼しく、マイナスイオンをいただいている気持ちになれる公園です。また、雰囲気が日本的であるのも魅力の一つと言えるでしょう。
奥には子供たちが駆け回れるような芝生の広場もあります。
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函館 見晴公園(香雪園) 広場 ©KATO

◆各案内はこちらをご参照ください。
見晴公園 | 一般財団法人 函館市住宅都市施設公社

五稜郭公園

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函館 五稜郭公園 桜 ©KATO
桜の名所として有名な五稜郭公園ですが、五稜郭公園は、生活圏に近いところにある公園です。歴史的な背景も持つことから、多くの観光客が訪れる場所でもありますが、日常的に散歩やジョギングなど、市民に愛されている公園でもあります。
もちろん桜のシーズンはとても美しいのですが、五稜郭公園は秋も素敵。桜の木が紅葉し、また新たな姿を見せてくれます。
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函館 五稜郭公園 紅葉 ©KATO
桜のシーズンを過ぎると、お次は市の花ツツジのシーズンとなり、色鮮やかなツツジが新緑とともに、明るい季節を演出してくれます。
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函館 五稜郭公園 ツツジ ©KATO
桜の時期も良いですが、ツツジの季節の函館はとても綺麗です。色とりどりのツツジが至るところで見ることができます。
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函館 白いツツジ ©KATO
こちらはまだ五分咲程度のようですが、満開の白いツツジも思わず足を止めたくなるほど綺麗です。

◆各案内はこちらをご参照ください。
五稜郭公園 | 一般財団法人 函館市住宅都市施設公社


自然感じる穴場スポット!

大森浜(奥の方)

大森浜は、湯の川から続く砂浜を差すので、啄木小公園などからも景色を楽しむことができますが、実はそのずっと奥に穴場スポットが。

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函館 大森浜(奥) 湯の川側を見た景色 ©KATO
湯の川方面を眺めたり・・・
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函館 大森浜(奥) 立待岬側を見た景色 ©KATO
立待岬を眺めたり。絶景ですよね。
こちらのスポットは夕暮れ時もオススメです。徐々に変わってゆく空の色は、どの時点を切り取っても心に沁みるいい色をしています。
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函館 大森浜(奥) 夕焼け ©KATO

◆各案内はこちらをご参照ください。
大森浜(啄木小公園) - 観光スポット| 函館市公式観光情報サイトはこぶら

空港緑地高松展望広場

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函館 空港緑地高松展望広場 ©KATO
こちらは、空港を一望できる絶景スポットです。空港をこちら側から見られるなんて!と感動してしまうほど視界が開けて開放的です。
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函館 空港緑地高松展望広場 空港 ©KATO
ちょうどこの時も、飛行機がちょうど離陸するところでした。とても小さくしか映っていませんが、写真右端に飛行機がスタンバイしています。小さい公園ですが、滅多に見られない景色を楽しむには絶好の場所と言えるでしょう。

ちなみに近くにはこんな場所もあります。

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函館 空港緑地志海苔ふれあい広場 ©KATO
同じく空港緑地。こちらは海が綺麗に見えました。

◆各案内はこちらをご参照ください。
空港緑地 高松展望広場 - 体験| 函館市公式観光情報サイトはこぶら

さいごに

函館にはたくさんの優れた公園が存在しています。一つの公園でゆっくりするもよし、いくつかの公園で絶景をめぐるのもよいでしょう。ただ、いくつかの公園をめぐるようであれば、移動手段は車が良いでしょう。実際、これら公園の写真撮影は全て車で移動して行われました。ご紹介したどの公園も、専用の駐車場や近くにパーキングがある公園です。ちなみにご紹介した全ての公園巡りの所要時間は4時間でした。ただ、お目当ての写真を撮るだけなら1日で周ることができますが、公園を楽しむにはもっと時間が必要ですね。

公園や緑、自然は、人々の暮らしは欠かせないものです。普段はオフィスワークで外出しない人や、忙しすぎて周りの景色を見る暇すらもない人もいることでしょう。休日は家でゴロゴロしていたくなるものです。しかし、公園で過ごす時間は自分のことを大切にしてくれます。自分の目を癒し、心を慰めてくれます。自然に触れて優しい心を取り戻しませんか?もっと自然を身近に感じてみると、暮らしの質が変わるかもしれませんね。


新型コロナウイルス流行のため、外出はなるべく少人数で、適度な間隔を保つなど、工夫をして楽しみましょう。また、制限等の関係で、情報が異なる場合がございますのでご了承ください。(2020/05/31)

KATO

動物たちに学ぶ「できないはずがない」という思い込み術

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はじめに

動物は人間たちが無理だろうと思っていることを次々にやってのけます。脱走する猫たちは「できる。できないはずがない。」と思って脱走に挑んでいますから、1、2回失敗しても懲りずにまた挑戦します。人間たちはそんな彼らに越えられないだろう高い壁を用意して「君には無理だよ」と笑います。それでもまだ彼らは「できる」と思っています。そして成功させてしまうのです。その「できないはずがない」と信じることこそ、成功させるための秘訣であるのです。

成功を導く考え方と導かない考え方

「できないはずがない」と「きっとできないだろう」

脱走猫は人間が仕掛けた様々な脱走阻止アイテムに挑みますが、「できないはずがない」と思っているので何度も挑戦します。この「できないはずがない」という根拠のない自信が、何度跳ね返されても挑戦を続けられる秘訣だと言えないはずがありません。人間はこれをみて「あなたには絶対にできない」と決めつけて、脱走に成功されるまで自分の仕掛けたアイテムは完璧だと思い込み、人間は「きっとできないだろう」と彼らの可能性を見くびっています。その結果、「できないはずがない」と思う猫たちは彼らのミッションを成功させ、「きっとできないだろう」と思い込む人間たちはまんまと出し抜かれてしまうのです。

「きっとできないだろう」の弱さ

人間は彼らの挑戦を笑うだけでなく、自分自身の挑戦も見切っています。もしかしたら人間は、進化の過程で高い知能得る代わりに何かを見失ったのかもしれません。理屈や論理で考えて「これを切り抜けることは無理だ」と、頭の中で無理だというイメージを作ってしまい、試すことをしなくなったのです。だから、猫たちが自分たちの仕掛けた脱走阻止アイテムを突破されることは、“本来起こりえない奇跡”のようにしか思えません。自分が一度思い描いた夢への挑戦も、"奇跡”が起こらなければできないものだとしか思えないのです。

動物たちから学べる思い込み術

夢に愚直であれ

猫たちは、突破「できないはずがない」脱走阻止アイテムと信じて疑いません。脱走することが自分にとって必要なこと、興味があることであるならば、愚直に挑戦します。人間が作った脱走阻止アイテムは高度で、猫たちにはこの仕組みを理解することはできません。けれど「やりたい」と思ったことを「絶対にできる」と信じられるというだけで、実質人間を超えてしまったのです。彼らは挑戦を何度もする過程で今まで理解ができなかった仕組みを徐々に学んでいきます。挑戦さえやめなければ、何度もチャンスは訪れるということです。

「できる」と信じよ

仕組みも脱する方法も本来知らないであろう猫たちが、見事にやって見せる脱走劇の根底にあるのは「できる」という気持ちです。「できる」と信じなければ、当然あれこれと試行錯誤する意味がないため、脱走を試みることはしないでしょう。つまりは、何かを成し遂げるには「できる」と信じることが重要でるということなのです。「できる」は万事の原動力であるのです。

さいごに

自分が何かに夢を抱いて進もうと決めた時、周囲の言葉に左右されてしまうことがあるでしょう。周囲の人間たちは我々が何かを成し遂げようとすることが「できるはずがない」と考えているからです。動物たちはだれがどう思おうが挑戦を続けます。しかし人間は、誰かからの「できるはずがない」という意見に耳を貸してしまうことがあります。「できるはずがない」は何も生むことはありません。生むことができるのは「できないはずがない」という信じる力なのです。


KATO