忙しい人のための人生がうまくいくスケジュール方法
はじめに
人は、一生の中で様々な立場や役割の人物になって生きていかなくてはなりません。
家族としての自分、会社の中での自分、地域社会の中の自分、自分そのもの・・・。それぞれの役割において自分自身を変化させていることもしばしばあります。それでも積み重なるタスクを目の前に、全ての役割を全うできないことがあります。それが誰かを傷つけたり、自分自身を傷つけたりする前に、時間の遣い方上手になりたいものです。
スケジューリングが幸せにつながる理由
環境に流されない
環境に流されるとは
頭では、帰ったら息子と遊ぼう、愛犬をひたすらかわいがろう、久しぶりにお父さんとお酒を飲み交わそうと考えていても、実際はできないことがあります。日々、目の前のことを片付ける生活をしていたらそうなるのもやむを得ません。仕事や家事などは期限や手を付けない限界が目に見えて分かります。また、やらなければいけないことであるこれらは、忘れないでやらなければいけないというプレッシャーを私たちにかけてきます。期限があるだけで、それが差し迫ったものでなかったとしても、期限やプレッシャーのせいで、私たちは流されてしまうのです。早急な対応が必要かも分からない日々のタスクに埋もれて、家で待つ息子が寂しそうなのも、愛犬が自分のところに来なくなったことも、お父さんとの会話が減ったことも気がつかないのです。
スケジューリングで環境を作る
社会の中で生きていくのであれば、自覚がないままに流されてしまうことは往々にしてあることでしょう。あなたが悪いわけではありません。でも、環境に流されてしまうことを食い止めるためには、自分で環境を作ることが必要です。その環境作りに適しているのがスケジューリングです。スケジュールとは主に仕事の予定や、美容院の予約や、旅行などのイベントを書き込むことだけのことだと思っていませんか?スケジュール帳はもっと自由に使っていいのです。帰宅後の小さな予定を書きこんで構いません。息子と自転車の練習を1時間する、愛犬の散歩に○○公園に行く、居酒屋の予約のように「父 18:00~」でも構わないのです。頭で覚えて行動するのには限界があります。より確実に"予定”として意識しやすいように、自分で環境をメイクしましょう。
自分にとって大切な人を大切にできる
環境を自分で整えるようになると、大切な人を大切にできるようになります。「大切な人を大切にする」これは当たり前のように聞こえますが、スケジューリングをしなければ難しいことでもあります。でも、自分の大切な人を大切することは、必ず自分の幸せに繋がっていることは誰もが分かっています。そして同様に自分自身のことも大切にできます。「自分」は「自分にとって大切な人」です。自分のために自分が喜ぶための時間を作ることも、幸せな気持ちになるために必要です。スケジューリングはただの備忘録ではありません。自分の一日、一週間、一か月をどんなものにしたいのかを自分でメイクする、人生を自発的にすることでもあるのです。
どうスケジュールするか?
小さなことだけど大事なことを書く
愛する夫のために手料理をする1時間や、家族に手紙を書く30分や、子供に本を読み聞かせる20分など、日常行っているような程度のことを書きます。けれどもこれらは、自分の人生の中で、最も大切な時間と言っても過言ではないのではないのでしょうか?流された生活の中では、何日も惣菜が並ぶ食事が続いたり、家族への連絡が滞ったり、子供への読み聞かせの時間を他の家族に譲ったり、無意識に積み重ねてしまいます。小さなことだけれど大事なこと、書き留めましょう。
ざっくり予定を活用
一か月単位のざっくりとした予定を書くこともオススメです。例えば、誰かと久しぶりに連絡を取って「また近いうちに連絡してね!」と口約束した時、2か月くらい先の手帳にどの日と決めずにその月にやることとして、「○○さんに連絡」と書いておきます。その月までに連絡を取っていなければ、連絡をしてみることができます。友人を大切にしたい気持ちは誰もが持っています。しかしそれを行動に移したらもっと楽しくなりますね。
仕事を早く終わらせるスケジュールと心構え
予定があれば早く帰れる!?
暮らし、人生を充実させるために、私生活の予定を上手くスケジュールしても、仕事が終わるか不安ですよね。しかし、仕事終わりの時間に予定が入っていると、何故だか人はいつもより早く帰ることができます。思い当たる人も多いかと思いますが、会社の飲み会があって必ずその時間までにいかなくてはいけない時や、病院に行く予約をしていて定時には会社を出ないといけない時などには、たいてい帰ることができているものなのです。結局、普段遅くまで会社で仕事をしている人に足りないのは「なにがなんでも帰る」という強い気持ちということです。この強い気持ちの先にあるのは、逆算した段取りを組むことです。つまり、帰る時間から逆算して効率よく仕事をする方法を知っていれば、定時退社に近づくことができるはずなのです。
1か月単位、1週間単位、各日にち 3つの単位でTO DO LISTを作る
早く帰宅することができる人は、その日だけに限らず1週間単位や1か月単位でやるべきことを把握できています。まず新しい月が始まる前に、その月にやる必要が出てくる大体の仕事を把握します。その月にやる仕事をこなすためにしなければいけないことを、週ごとに割り振ります。最後に予定具体的な日にちを決めるという具合で予定を埋めていきます。先を見通せている状態で仕事をするので、焦る必要もなくその日にできなくてもどの日に予定を入れなおせばよいかが一目瞭然です。勤めている会社の年間スケジュールや月間スケジュールなど、ある程度決まっているものは、あらかじめ自分のスケジュール帳に記して把握しておきましょう。
予定は詰め込みすぎない
〇時にお得意先に訪問をして、〇時に来客が来て、〇時に会議、この日までに1時間かけて作らなければいけない書類があって・・・。こんな具合で予定を詰め込みすぎてしまうことは、ただモチベーションを下げるだけなのでオススメしません。オススメするのはその日に必ずやり遂げたいことを決めることです。その日のメインイベントを決めて、それに関することをきちんとやることを目標にします。そうすると、万が一終わらない仕事があっても達成感を得られ、何も成果がない日がなくなります。あらかじめ余裕を持てるように予定を組んでおくことも、早く家に帰るためには大切なことです。
余裕をもって出社する
いつもより少しだけでOKです。自分の立てた計画を落ち着いて確認し、段取りを思い出す余裕を作りましょう。TO DO LISTは便利ですが、その都度確認しながらやるよりも、あらかじめやることを認識しておいたほうが、スムーズに次のTO DOに移ることができます。気持ちを整えたり、頭を整理するだけでなく、軽くデスク周りを整えるだけでも、その後の仕事のはかどり方が変わってきます。また、移動中の時間を使える人は、移動しながら仕事の段取りを頭に入れることができますし、仕事のことで絶対に覚えておきたいことをおさらいしておくことで、ミスを減らし無駄な仕事を増やさずに済みますよ。時間的な余裕、そして心理的な余裕が大切です。
「都度やる」を心掛ける
計画を立てていても周囲からお願いされる仕事など、思いがけない仕事ができることがありますよね。物にもよりますが、そのお願いされたものはすぐに簡単に確認してしまいましょう。自分が立てた計画上の仕事と、その仕事のどちらを先に終わらせた方がよいのかを判断するためです。「全て終わってから目を通そう」とすぐに後回しにすることは、結局できないもしくは残業することになるのでオススメできません。
決まっている仕事はルーティン化する
毎年の恒例行事のような大きなルーティンは、1つ目のTO DO LIST化の際に把握しておきますが、毎日している仕事もあるかと思います。主に社内報の確認や日報、報告書の作成やメールの確認などは、いつどこでどの順番で行うのかを決めておけば、計画を練る時間をかけずに済ませてしまうことができるだけでなく、抜け漏れも抑えることができます。出社時や退社前の30分程度を、そのルーティンの分空けておくことで余裕も生まれますね。
さいごに
スケジュール帳は、やらなければいけないことだけを書くだけでなく、自分が大切にしたいものを可視化させることができるものでもあります。自分が目の前のことを片付けるだけの人生を歩んでいるうちに、大切な人達が悲しい思いをしないように、そして何よりも自分が幸せを感じることができるようにするために、自分の役割を今一度見直し、そして今崩れているバランスがあれば補修していきましょう。バランスの欠如に気づけたのであれば、それに取り組む最善の時はここから先、“今”しかないのです。仕事でもプライベートでも、余裕ない毎日や切羽詰まった仕事環境を作るのも、余裕がある毎日や大切な人たちとの時間を作るのもスケジュール次第です。スケジュール帳を上手く活用して、見通しがよく余裕のある毎日を手に入れましょう。
KATO
海外Youtuber、イタリア舞台の洋画から見る、海外に暮らす人がやっている豊かになれる習慣
はじめに
最近日本でも自分の暮らしのルーティンを紹介する動画の流行が目立っていますが、以前からモーニングルーティン動画やナイトルーティン動画は、海外で人気がありました。素敵なあの人がどんな暮らしをしているのかを知ることは、暮らしに隠された素敵になれるヒントを知ることでもあります。特に海外は、暮らしがお洒落に見えることから、日本でも参考にしている人たちも多いと思います。こちらではそんな海外のYoutuberがやっている素敵な習慣を、イタリアを舞台にした洋画から見える豊かな習慣とともにご紹介します。豊かな暮らしとはなにか?その答えに近いものがあるはずです。
そもそも豊かな暮らしとは何か?
豊かな暮らしの答えは"旅”にあり?
「どこか遠いところに行きたい」「今ある暮らしとは別の体験をしたい」この欲望は時代や年代に関わらず共通してあるように思います。家を空けてわざわざホテルや旅館に泊まりたいと思うことは、よく考えてみれば変なことのようにも聞こえます。家に帰ればご飯もお風呂も布団もあります。『ご飯を食べてお風呂に入って眠る。朝起きて朝風呂をしてご飯を食べて出かける。』これだけ聞けば全部自宅でできることです。でも「だから泊りに行くのはやめよう」とはなりません。これをするためだけにでもホテルに泊まりたいと思っています。ホテルに泊まることが特別なことだと思うということは、丁寧に暮らすことが自分を癒してくれるということを、みな心のどこかで自覚しているのです。
お洒落さと非日常さ
例えば、休日に自分の家から程近いところに観光に出かけるとします。家で『ご飯を食べてお風呂に入って眠る。朝起きて朝風呂をしてご飯を食べて出かける。』のと、ホテルに泊まって『ご飯を食べてお風呂に入って眠る。朝起きて朝風呂をしてご飯を食べて出かける。』のとでは全くテンションが違いませんか?それはきっと『ご飯を食べてお風呂に入って眠る。朝起きて朝風呂をしてご飯を食べて出かける。』、まさに“暮らし”がお洒落で非日常化したからではないでしょうか?
ゆっくりと流れる時間
家ではテレビをつけてそれをぼうっと眺めている過ごし方が、ホテルだと温泉に浸かりながら夜景や夜空などの景色を楽しむ過ごし方に変わり、ホテルの部屋は綺麗に整頓されて余計なものがない分、気が散ることなくベッドでゆっくり本を読んで過ごすことができます。普段はゆっくり話す時間がなかった人とゆっくりと語らうこともできるかもしれません。同じ観光地に観光しているにも関わらず、ホテルに泊まった時の方が満足度・充実度が高く感じられるのには、流れる時間の速さが関係しているはずです。
コツさえ分かれば豊かな暮らしは作れる
ただの“暮らし”を別の場所でするだけで気持ちが変わることの裏を返せば、家でも工夫次第で満足度・充実度を上げられるということにもなります。旅に出ると先に述べたように過ごし方が変わり、それに伴って満足度・充実度が上がっています。暮らしの一部である食事を心から楽しむこと、暮らしの一部である入浴を全身で味わうこと、暮らしの一部である寛ぎの時間をテレビではなく読書で静かに過ごし、時に語り合うこと。これらによって暮らしの質が向上できるということが、ほとんど証明されているのですから。
豊かな暮らしを叶えるコツ
お金がモノを言う理想より、自分で創り出せる理想を
大きい家に住みたい、高級車に乗りたいなどが思い浮かぶ人もいるかもしれません。もちろんとても素敵な夢ですが、それらは一度手に入れてしまえば満足感を得られます。ただ、今ある自分の住まいを素敵に見せるための工夫や、今ある自分の車を綺麗に保つための習慣は、いつまでもあなたに満足感をもたらします。つまり豊かな暮らしを考える上でのコツは、買い足せるモノというよりは、日々行う行動に対する工夫という視点を持つことなのです。例えば、朝の時間に花に水をやりながらコーヒーをゆっくりと飲んで過ごすことや、読書を楽しむこと、ヘアトリートメントやヨガなど自分を労わる時間をたっぷりと持っていることなど、どれも手に入れるのにはそんなに難しくないようなことばかりです。
理想の暮らしの鍵は"時間をかける”こと
余裕のある豊かな暮らしの鍵を握っているのは紛れもなく時間です。お金次第の大きな家や高級な車よりも、時間次第の豊かな習慣を手に入れることのほうが、日々その都度幸せを感じられ“豊かさ”をしみじみと実感できるからです。例えばお花を飾ることは、花瓶のお手入れや枯れてきたら新しいものを用意するなど手間がかかることです。自分の体を鍛えるために毎朝ヨガやトレーニングをすることは、地道で根気のいることです。自分のためだけにコーヒーを豆から挽いて用意したり、ホテルさながらに盛り付けた朝食を用意するのは面倒に感じるかもしれません。けれど、これらのことは例え一輪挿しでも、例えトレーニング場所がジムでなくても、コーヒー豆が一番安価なものだとしても、とてつもない満足感を与えてくれるのです。
豊かな暮らしをする人たちのしている習慣
水を飲む
起床後すぐに行っているのが水を飲むこと。まず朝起きたら、枕元に用意してあるボトルやストロー付きのメイソンジャーなどの常温の水を摂るようにしているようです。中にはスライスしたレモンを入れたり、レモン果汁などを絞って入れる人もいました。美肌の秘訣としても水を摂ることは良いこととされています。海外の美しいYoutuberたちは、必ず水を飲むようにしており、そのことからも暮らしに欠かせない習慣であると言えるでしょう。常温の水を愛飲しているのも特徴の一つです。
コーヒーまたは紅茶または緑茶を飲む
水を飲んだ後はすぐコーヒーの支度をする、そんな海外Youtuberは多いです。コーヒーはカフェインが豊富に含まれているため、脳を目覚めさせるのに効果的とされているというのもそうですが、海外は特にコーヒーの文化が根強くあります。確かに、コーヒーだと雰囲気が出ますよね…香りも良く朝から幸せな気持ちにしてくれます。ミルクを足して少し甘くして飲むのも幸せです。そもそも温かい飲み物を時間をかけて飲むというのは心がほっとしますよね。海外Youtuberにはコーヒーだけでなく、紅茶派やなんと緑茶派もいました。朝の時間が楽しくなるように、朝のホットドリンクのレパートリーはいくつかあっても楽しめそうですね。
キャンドルを灯す
海外は雰囲気づくりがとても上手です。インテリアなども実用性だけでなく見た目がお洒落で落ち着くデザインであることが多く、キャンドルを灯す文化もその雰囲気づくりの一環としてあるのでしょう。日本人にとっては、キャンドルは夜に灯す印象ですが、朝起きてすぐにキャンドル灯しています。香りがアロマの役割を果たしてくれますし、時間帯関係なく雰囲気が良い部屋で過ごすことによって、朝から気分よく過ごせる効果があるからかもしれません。キャンドルは大き目のものが多く、芯が3つあるものが存在感がありインテリアにもなるので、灯していないときでもお洒落な部屋を演出できますよ。
ブランケットやクッションを用意する
リビングに置いたソファにも、ベッドにも、出窓のところにつくったちょっとしたスペースにも、クッションが置いてあるのが海外流。海外では起床後すぐにベッドメイキングをしていて、寝るときは床に下ろしていたクッションをベッドに綺麗に並べていくのですが、大きなクッションを3~6個を順番に重ねた後で真ん中にぬいぐるみや、アクセントになるクッションを置いています。海外の“寛ぎ”に欠かせないものがクッションなのかもしれません。同じようにブランケットも良くソファやイスにたゆませて置いてあり、それがまた寛ぎの雰囲気を良い感じで醸し出しています。
体を動かす
暮らしに余裕がある人はやっぱり体を動かしています。本格的にジムまで出向いてワークアウトする方法だけでなく、家の中でYoutubeを見ながらヨガのポージングをしていたり、同じくYoutubeで一連の筋トレメニュー動画を流しながら取り組んだりと方法は様々です。朝行うヨガは10分でも良いと思います。実際Youtubeで見ることができるヨガの動画は10分くらいのメニューもあります。でもそれをやるだけで体の動き方が全然違ってくるので見習うべき習慣と言えるでしょう。ヨガまでの本格的なところが難しくてもストレッチをする心がけは良いと思います。普段何気なく生活しているとストレッチすらする機会が少なくなるので、10分でもきちんと時間をとって体を整えることが大切なのですね。
瞑想をする(自分の方向性を見直す)
瞑想というと大袈裟かもしれませんが、自分がどうなっていきたいか、今の自分は何を1番気にしているかなど立ち止まって考えることが大事です。瞑想のポーズをとり、無音でじっと目を閉じる時間を作るばかりが瞑想ではなく、ただ腰掛けて温かい飲み物片手にぼーっとしながら、自分見つめる時間にもそれに近い効果を期待できます。目の前にあることを片付けていくうちに1日が終わるように、人生もそうやって過ぎていくのは勿体ないことです。だから一度居直って自分の今いる場所とこれから進むべき道を確認することで、少なくともあなたの人生が流れていくことはありません。
読書をする
没頭しリラックスする
体を動かすことが体を健康に保つことであるとするならば、心を豊かに保ってくれるのは読書です。海外のYoutuberも朝ベッドの中で本を読んでみたり、夜全てのやることが終わった後でゆっくりと座って読書を楽しんでみたりと、意外と読書が暮らしの中に身近にあるのが分かります。本を読むことはスマホでニュース記事を読むことや、動画を見ることとは異なる充実感を与えてくれます。一つの物語を読み進めていく快感は何にも代えられません。自分の頭の中にイメージを創り出し、自分のイメージの声で主人公が話をし、時には自分自身が主人公になりきって感情移入するなど、夢中になることは一番のリラックス効果を得られます。本を読むその“時間”自体があなたを豊かにしてくれます。
お気に入りの本を一冊持つ
本を読まなくなっている人もたくさんいると思います。私もきっとその中の一人かもしれません。でも、お気に入りの本は持っておくべきだと思っています。お気に入りの本の話をする機会は数少なくても、好きな本を持っているとそれだけでその人の魅力が伝わる気がします。好きな本分だけの深みのある人間になれるような。そのためか本のある家は雰囲気があり、深みのある印象になります。本を交えて友人と関係が深まるなど、全くの知らない人でも同じ本を知っている、好きだというだけで気心が知れる気がしますよね。
お気に入りの花瓶を持つ
ある洋画で、主人公が自分のかつての住まいから必要なものを運び出すシーンで、ほとんどのモノを置いていくというシーンがあります。そして段ボール3箱と帰り際に目についたブルーが綺麗な小さな花瓶を持って家を出ていきます。ベッドでもソファでもなく花瓶を選んだ彼女の選択は実に面白いものでした。絶対に暮らしていくのに必要なものと思われがちなベッドなどを選ばず、必要不可欠でない花を入れる花瓶を選ぶのですから。ただ、花瓶は“生活”には必要ないですが、“暮らし”には必要です。そしてお気に入りのモノは暮らしには絶対に必要なことです。心ときめくモノを選ぶ暮らしは楽しいですね。
食事を楽しむ
全てが本格的なものでなくていいのです。フランスパンに何かを乗せただけでも立派なパーティーメニューになるように、綺麗に並べるということは食卓を楽しいものに変えてくれます。彩りやテーブルがいっぱいになるように食べ物を並べてみましょう。それだけで心が晴れやかになり、自然と楽しい食事になりますよ。テーブルいっぱいに並べられた彩り豊かな食卓を、誰かとワイワイ囲むのって楽しいことですよね。
自然と共存する
どんな共存の仕方でも良いのですが、都会に住んでいても外や公園を散歩したり、観葉植物を家の中で世話したりと、いつでも自然と環境を持つことは人間にとって大切です。イタリア舞台の映画には、木々が生い茂る裏庭や、果物やオリーブの畑などが一面に広がるような風景を見せてくれます。そういった自然豊かな場所だからこそ心休まり、人との触れ合いがより一層嬉しいものになります。街の中での都会的な暮らしは、楽しみも魅力的なモノも豊富で素敵ですが、自然豊かな場所には、自分の中にある豊かさに気づかせてくれるものです。
ゆっくりとした時間を過ごす
絵葉書を書いたり、友達と電話したり、本を読んだり、身近な人を招いて夕食を振舞ったり…結局はすごく豪華なパーティーではなく、日常の中にある行動が人を心から幸せにするのです。ある洋画では外にあるイスとテーブルにワインのボトルとコップを用意して、疲れた体を癒していました。ワインボトルを真ん中に置いて、右目を瞑ったり左目を瞑ったりして、ワインボトルの位置が左に右にずれているかのように感じる、子供みたいな遊びをして時間を過ごすシーンがあります。つまり、何もしない。するなら一つのことだけする。そんな時間の過ごし方にこそ幸せへの近道があるのです。
モチーフとなったイタリアが舞台の洋画「トスカーナの休日」について
あらすじ
離婚することになってしまったアメリカの作家が、慰安旅行でイタリアに旅行をし、その場所でなんと家を買って住んでしまうというお話です。主人公が自分の居場所を探し、安らげる場所を作り上げていく過程で、心地よい暮らし探しのヒントになりそうなシーンがたくさん出てきます。自分の居場所を作る間に関わる人々は、陽気で優しく気ままです。そして時折映るイタリアの美しい街並みや自然を見ることができ、現代的なエピソードもありながら心が落ち着く映画となっています。
暮らしを作り込む過程が面白い
この映画には、イタリアならではの暮らしを楽しむコツが詰まっていました。オリーブ畑が広がっているような自然豊かな場所で、美味しい食事と、美しい景色と、楽しい人たちとの交流を経て、暮らし上手になり幸せになっていく主人公から、私たちも学べることがありそうです。主人公が購入する物件は、確かに年代物で素敵な雰囲気のある家だとは思いますが、家具も揃わず、むき出しの壁は剥がれているところもあり、蛇口をひねっても水が出ない水道付きなんて、正直魅力的な物件かと言われたら微妙なところです。それでも購入したというのは、主人公が置かれている状況(離婚直後)という理由だけでなく、住処を作り上げていく楽しさを知っているからとも言えるでしょう。自分の持ち家だけでなく、賃貸でも自分の工夫次第でお部屋は自分好みに変えられるのです。
「素朴だけれど幸せ」を教えてくれる
この映画に出てくるシーンはどれも素敵であるのに、どれも素朴で何一つ特別なことはありません。暮らしを楽しむことには、膨大なお金をかけることは必要ではないということでしょう。どちらかと言えば、必要なのは時間です。時間をかけて何か一つに取り組んでみる時間を作るだけで、きっと充実した感覚を味わえますよ。グラスとワインだけを持ち、景色だけをつまみにする時間が、私たちにどれほど足りていないかを教えてくれる映画です。
さいごに
豊かな暮らしをしている人の日々の暮らしを見てみると、共通して取り入れられている活動がたくさんありました。「習慣によって人生が変わる」と言われるだけの影響力が、習慣にはあることを教えてくれます。彼らの習慣は、健康を維持でき、かつ知識をつけたり、何かを創造する文化的な側面のある、バランスの取れた習慣です。健康のことを考えた飲み物の選択や運動の習慣、知的で人間らしく生きるための読書や自分を見つめ直す習慣。どれもゆっくりとした時間自体を楽しむ、素朴で最低限なことかもしれませんが、そんなことを大切にしているところが幸せのポイントなのかもしれません。
KATO
精神的疲れと肉体的疲れからカラダを守る「おやつ」と「体を鍛える」ことのススメ
はじめに
人との付き合いなどで精神的な疲れを感じたり、長いデスクワークなどで肉体的に疲れを感じたり・・・。日々疲れに悩まされていると、幸せ度が下がってしまいます。もっと幸せになるために、疲れの本質を知り、疲れとの上手な向き合い方をするだけで、もっと幸せを感じられる瞬間を増やしていきましょう。
疲れの理由
精神的疲れ
そもそもなぜ疲れを感じるのか。その原因は大きく分けて2種類あると考えられます。1つ目は精神的疲れです。会社で人間関係に悩んだり、締め切り間近の仕事の目処が立たずに困ったり、仕事上の心配事でストレスを抱えるなどの心が疲弊することによる疲れです。精神的疲れは、体にも影響を及ぼします。心が無気力なために体もなんとなくだるくなり、行動するのが億劫になります。精神的な疲れが、肉体的な疲れと異なる点は、回復の方法です。肉体的な疲れであれば、その疲れを癒すことつまり、体を物理的に休ませることで解決できます。しかし、心の回復はただゆっくりするだけだと、かえって考え込んでしまうなどうまくいきません。何かに打ち込んだり、どこかに出かけるなど、楽しむことで回復することも多いため、ある意味体力が必要となる疲れでもあります。
肉体的疲れ
2つ目は肉体的疲れです。長時間立っていることによる足腰の疲れや、思い荷物を抱えて歩くことによる全身の疲れなど、体を動かすことによってくる疲れです。疲れの原因こそ様々ですが、疲れは、本来ダメージを負っている場所以外のところにも影響を及ぼします。肉体的疲れは体を動かしたくないため、同時にやる気を失います。ただ肉体的疲れは、その疲労は精神的なものに比べると取り除きやすく、また取り除かれたことも分かりやすいため、きちんと時間をかけて休むことさえできれば乗り越えらえる可能性が大きくあるのです。
肉体的疲れへの対策
「疲れているから動かない」は逆効果
日頃からハードな仕事をしていると、いつ体を鍛える時間を作るのかということも問題となります。「疲れを癒すために休みたい」と、仕事終わりの運動から逃避し、「これからハードな仕事で疲れるから」と、早朝の運動を断念してしまいます。結果的に体を鍛える時間は取れません。これでは疲れやすい体は変わりません。疲れの感じ方を軽くしたい人ほど、少しでも良いので筋トレやウォーキングなど手軽に動いてみることです。軽い運動は気分転換になり、意外と引きこもって体を癒そうとしていた時よりも心が軽くなります。また、精神的疲労よりも肉体的疲労なら回復が分かりやすいため、どちらの種類の疲れも背負ってしまうからこそ、どちらかの疲れを軽くすることが疲れにくい体を作るポイントです。心を強くすることも大切であるかもしれませんが、計り知れないものであるため難しくもあります。つまり、体力UPを計ることで肉体的疲労に耐えうる体を作ることが、結果的に体が整うのです。
体力UPが叶える効果
余暇をもっと楽しめる
体を鍛えるメリットは仕事へのものだけではありません。旅行に行くと観光地を歩き回り、楽しいとともに疲れも感じます。でも、旅先ですから宿泊先の温泉でゆっくりしたりご飯を楽しんだりお酒を楽しんだり、宿でも楽しい時間を過ごしたいはずです。体力がなければ、やりたいことを全てやれなかったり、次の日どっと疲れを感じて時間を楽しめなかったりと、せっかくの時間を台無しにしてしまいます。どうせなら身も心も楽しい時間を過ごしたいですよね。だから体を鍛えます。
魅力UP!
体を鍛えることで女性にも嬉しいメリットがあります。素敵に見える人は姿勢が良いからです。体力と姿勢にはかなり深い関係があると考えています。姿勢を正すことは、予想以上に腹筋と背筋を使うため、普段姿勢を保てていない人にとって正しい姿勢でずっといることは疲れるでしょう。でも素敵に見える人は正しい姿勢で立ち振る舞います。つまり姿勢を保つだけの体力があるのです。姿勢が悪くなるとあごが前に突き出てきたり、胸が下がりお腹が前に出て太って見えたりと、本来持つ美しさよりも数段マイナスとなってしまいます。しかし、逆に姿勢を保つことによって本来の美しさを引き出すだけでなく、それ以上に魅力的に見えるのです。
肉体的疲労に打ち勝つための体を鍛える方法
体幹を鍛える
体を鍛える方法はたくさんありますが、体幹を鍛えてあげることがオススメです。体幹トレーニングはサーキット形式で1項目30秒を10項目の5分のトレーニングなど、時間が短くても毎日続けることで効果が得られます。Youtubeなどでもトレーニングを紹介しているトレーナーがいるため、メニューに困ることもありません。はじめは5分という短い時間でさえも、メニュー通りに行うのはとても難しいでしょう。体幹トレーニングは主に腹筋に力を込めるメニューが多いため、初めはお腹が笑います。ただ、5分という短い時間だけでも、確実にお腹の筋肉を使った実感が湧き、前日よりも翌日、先週よりも今週の方が体の安定性やトレーニングを持続することができていることも実感できます。体幹を鍛えることで姿勢も保ちやすくなりますし、正しい姿勢で居られることで疲れも最小限に抑えることができるようになります。1日の終わりの疲れ具合でもトレーニングの成果を計れるのも継続できるポイントです。
ウォーキングなどの軽いものから
いきなりハードに追い込んでも続きません。体を鍛えることが習慣となることが望ましいため、あまり無理をしすぎないことも大切です。はじめは散歩程度でも構いません。公園をウォーキングしたり、短い距離をランニングしたり、できることから始めましょう。できれば自分の暮らしの習慣の中に取り込みやすいものを選ぶと良いかもしれません。朝、帰宅後夕食前、夕食後など自分のルーティンに当てはめて取り組むと、忘れませんし継続できます。
精神的疲れへの対策
体を癒す「おやつ」
広辞苑によれば、日本では、八つ時(昔の時間の呼び方で、丑の刻と未の刻を示し、丑の刻は現在のおよそ午前2時、未の刻は午後2時頃を言う。)に食べることから、午後の間食のことを「おやつ」と呼ぶようになりました。食べるものがそう豊富ではなかったからこそ、栄養を補うためにも大切な文化だったのでしょう。日本だけでなく他の国でも、伝統的な甘いお菓子や簡単に食べられるものが存在しているのは、他国でも昔から栄養補給の意味でのおやつの文化があったからなのかもしれません。
ただ、現在はおやつは楽しむ時代です。リラックス時間のお供となることもたびたびです。いろいろなおやつが簡単に手に入る時代ですから、自国においてあるものだけでなく、他国のお菓子を食べることもできるため、おやつの時間はより楽しいものへと変わっているはずです。その分、昼食と夕食の間の時間に食べていたことが発端だったおやつも、暇な時間に食べたり、夜寝る前に食べたりと、食べすぎた代償を体の変化とともに痛感することもあります。疲れを癒してくれるおやつですが、付き合い方には注意が必要です。
「おやつ」は心を満たして、体を壊す?
幸せとおやつの関係
国連が国際幸福デーの3月20日に発表している、世界幸福度ランキング(2019年)で1位のフィンランドや2位のデンマークなど北欧の国々は、おやつやデザートを楽しんで暮らしに取り入れています。確かに、甘いものは幸せな気持ちにさせてくれますし、幸せな暮らしには必要不可欠なものです。甘いおやつをコーヒーや紅茶と一緒に楽しむ、そんな時間を1日の中に設けていること自体が、心のリフレッシュに繋がり、いつでもリラックスして満足して暮らせるのかもしれません。
おやつ=幸せでも、おやつ=肥満?
「おやつ」となりうるものの多くは、甘いものが多いため、疲れを癒すとは言え付き合い方が大切です。それでも2008年のWHO(世界保健機関)の肥満ランキングでは、デンマークは189カ国中116位の平均以下、フィンランドは92位と真ん中くらいの位置にいます。幸せな国がおやつを楽しむ国であるということは、おやつ=幸せであり、おやつを楽しんでいる国が肥満ランキングでは上位でないということは、おやつやデザートが直接的に肥満に関係しているわけではないと言えます。フランス人の暮らし方についても豊かな暮らし方の一つとして、食後にはデザートが必ずあることなどが紹介されますが、フランスもやはり肥満ランキングでは平均以下の120位でした。また、興味深いことに、これらの国はおやつに対する意識はとても高いようです。お洒落に盛り付けたり、友人と楽しい時間を過ごすときのお供にしています。つまり、食べ方が問題なのではないでしょうか。(データ参照先リンク:
世界・成人の肥満率ランキング(WHO版) - 世界ランキング/
「世界幸福度ランキング」2019年版が発表。日本の順位はどうなった? | ハフポスト)
おやつと上手に付き合う「ひとてま」で心を満たす
食べ物は見た目からも楽しむ
いつか歌手のGACKTさんが、テレビ番組で割り箸を使わない理由を「こっち(マイ箸)のほうがおいしいじゃないですか」と語っていたことがありました。当然番組内でも「箸が違っても食べ物は同じじゃないか」という反論もありましたが、「食べるものが本当に何で食べても同じ味であれば、犬の皿に置いていても同じですか?」と意見を貫いていました。人は視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の5つを駆使して目の前のものを判断しようとします。もちろん食事もです。つまり、視覚の印象が「美味しそう」なものであればあるほど、実際に味わった後の感想に影響があるのです。
見た目の美しさにこだわる
お菓子を食べるにしても、例えば袋入りのポテトチップスを袋のままに食べるときと、お気に入りのお皿にポテトチップスを綺麗に盛り付けて食べるときとでは味わい方が変わります。無造作に袋の中に手を入れて取った1枚はそのまま口に運ばれますが、お皿の上のポテトチップスはそれだけで一度目で楽しんでいるからです。食べ物は味が美味しいことは大切なことですが、匂い、調理時の音、舌触りの心地良いこと、そして見た目の美しさも大切なことです。私たちが洋服を買うときに、その触り心地や生地の質がいかに良いものでも、デザインが好ましくなければ買わないのと同じことです。見た目がお洒落だとそれだけでも気持ちが満たされるものなのです。
お洒落な「ひとてま」おやつはいつも適量
最近はHYGGEという北欧の豊かな暮らし方や、『フランス人は10着しか服を持たない』でお馴染みのフランス流の暮らし方などを紹介されることが多くなりました。彼らは暮らしを楽しみ、ひとつひとつ手をかけて過ごしているのが特徴的です。そんな暮らしを丁寧に暮らす人たちのおやつは、大切な憩いのひとときであり、幸せを味わうための絶好の機会です。そのため、淹れるお茶やコーヒーの淹れ方から、使われる食器、テーブルや部屋の雰囲気までもをこだわっています。お気に入りのマグカップでお茶をしますし、一緒に添えられるお菓子も素敵なお皿に乗せられて、まるで午後のひとときを飾り付けするかのように用意されます。袋のまま出されたポテトチップスや、大量のチョコレートの山がお供になるというよりは、何枚か重ねておかれたビスケットやクッキー、数粒のチョコレートでお茶の時間をエレガントに、お洒落に演出しているのです。結果的に、お洒落に見える演出をおやつにも施すことで、がぶ飲みややけ食いのような食べ方にはならず、適量かつむしろ少ないくらいの量で満足できるようになります。おやつをおやつ自体だけでなく、その雰囲気も含めて楽しむため、少ない量でも満足感があるのです。
さいごに
体を鍛えることは、必須な習慣というよりは、+α的な習慣のように思われがちです。しかし、体を鍛えることが日々の疲れの感じ方を変えることはもとより、鍛えることによってもたらされるメリットが、巡り巡って疲れとうまく付き合うことにも繋がるということです。また、精神的な疲れを癒してくれるリラックスタイムのお供である「おやつ」は、暮らしを丁寧に暮らす人たちの幸せを感じるための必須アイテムであることから、上手に取り入れることで暮らしの満足度が上がることが分かりました。疲れに対する予防と、心を満たすことの二つの方向から体を守って幸せになりましょう。
KATO
「感じる」心を育てて幸せになる。~能動的に幸せな理解をするということ~
はじめに
どうすれば幸せになれるだろうか?そう考えて人は幸せになるためのノウハウを知りたがります。それは、今の自分では幸せをつかむことがどこか叶わぬことと思っているからです。幸せそうなあの人が持っているモノを集めるなど、誰かを真似て幸せになるわけでないことは、自分が一番わかっているはずなのに、周りの基準につい踊らされてしまいます。しかし、真似することが全てでないとは言え、幸せになっている人にはある特徴があったのです。
幸せになるためにやりがちなこと
がむしゃらに誰かを真似る
誰かを目標にすることは、自分が頑張るための指標になるため有効です。しかし、幸せそうにしている誰かが持っているモノを集めることでは、少々足りていないかもしれません。そのモノが、あなたの暮らしにハリを与え、暮らしぶりを素敵に変えてくれるような、必要なものであればよいのですが、ただ幸せそうにしている人が持っているモノに同調しただけであれば、本当の自分が求めるものとは違うものを集めてしまっているかもしれません。しいて言うのであれば、そのモノを持つことで「幸せになれる」という信じ込む力が、あなたに幸せをもたらしていることは確かです。だとすると、幸せになるための方法とは「幸せを感じること」であり、モノを集めることではないのではないでしょうか。
お金や物に頼る
幸せはなかなか測れないものです。ただ、経済的に豊かであるかどうかが、人の目には幸せそうに映ることは確かでしょう。それゆえに「もっと金が欲しい」「もっとモノが欲しい」と考えてしまいます。自分が持っていないものを手に入れることで、幸せになれると考えているからでしょう。幸せが自分の外側にあると思っているから、お金を手に入れようとしたり、モノを探して外の世界ばかりに目を向けがちです。しかし、本当に幸せは自分の外にあるのでしょうか?なかなか幸せが見つからないのは、幸せが自分の内側にあるものだからではないでしょうか?
幸せは自分の中にある
幸せの定義
幸せな人がどういう人であるかの問いの答えは、これまでにいくつもの答えがあったはずですが、答えがいくつもあるのは、答える人の数だけ答えがあるからです。幸せの形は、幸せな人の数だけある。月並みですが、幸せとはつまり自分が決めることなのです。幸せな人がどういう人であるか誰も分からない以上、今の自分が幸せかどうかを決めるのは自分自身で、自分が幸せであると自覚しないことを決めているのも、紛れもなく自分です。自分が幸せでないと決めているのが自分自身であるならば、自分が幸せであると決めることができるのも、これまた自分自身と言えるのです。
幸せは灯台下暗し
「幸せでないから幸せを感じることは無理」「幸せになる方法を探している」という人は、そもそも自分の中に幸せがあるとは考えてもいません。だから探しもしませんから見つけることもありません。探し物をしているとき、自分の思い込みによって探す場所の候補から外されている場所ほど、探し物が見つかるということがないでしょうか。探しているものを実は自分が持っていたという時ほど、「先にここを探しておけばよかった」と後悔しますよね。探さない理由なんてないはずなのに、勝手に決めつけて探さないのはもったいないことなのです。つまり、自分は幸せを手にしたこともなければ、自分の側に幸せが転がっているに違いないと思わないことは、自ら幸せに出遭うタイミングを逃してしまっているようなものなのです。
幸せのインフレ
自分の中に幸せがあるかもしれないことが分かったうえで、ではどうやって自分の中の幸せを見つけることができるのでしょうか。例えば、ずっと憧れていた1杯1000円の高級コーヒーを喫茶店で飲むことができた時、今までは1杯100円のコーヒーを飲むことが普通である人にとってはとても幸せな気持ちになります。でも、毎日飲めるようになると、いつしか1杯1000円のコーヒーを飲むことが普通のことに思えてきます。こんな風に幸せを感じるためのレベルがどんどん上がる「幸せのインフレ」が起きていきます。高価なものや、貴重な経験ばかりが幸せだと思うようになり、自分の経済力が追い付かなくなったり、安価なものや、誰でもできる経験だけでは満足できなくなる「幸せのインフレ」が起こってしまうのです。自分の中の幸せを見誤ると、この現象が起こることがあります。
幸せな人ほど小さい幸せが好き
小さな変化に気がつくことが幸せにつながる理由
積み重ねが大きな変化を生む
自分自身が毎日の暮らしの積み重ねでできていくものであることは事実です。そうであるが故に、積み重ねるものの違いでできるものも異なります。どれだけ小さなことでも、毎日感じた小さな幸せたちは、確実に私たちの心に幸せの城を築きます。そして、小さな幸せに気がつけるということは、日常の小さな変化にも気がつけるということ。日常の小さな変化に気がつけると、自分の中に生じたズレも小さなうちから対処することができます。こうした小さなコトは、いずれ大きな成果となって返って来るものです。
余裕が出る
小さな変化に気がつくために、もっとあらゆるものに目を留めるようになり、人生をゆっくり歩めることでしょう。つまり余裕が出てきます。より一層今まで目に留まらなかったものが目に留まるようになります。普段当たり前にやっているようなことでも、小さな変化や小さな幸せを知るだけで、それらがまるで新たなことのように世界が広がります。
毎日小さい幸せを見つけよう
心を満たしてくれることが小さなことであればあるほどに、その小さなこと以上のことは全て「幸せ」と捉えられるようになり、幸せの幅は広がっていきます。
心を満たしてくれる小さなことは案外自分の日々の暮らしに転がっています。
・朝起きた時に大切な人が横にいること
・朝良い天気で迎えられたこと
・友人と一緒にカフェで1杯100円のコーヒーを飲みながら楽しい時間を過ごすこと
・作った料理が美味しいこと
・出勤時に割り込んだ人に快く先を譲って良い人の気分を味わえたこと
・仕事仲間が遅れたおかげで隙間時間で別の仕事ができたこと
・疲れて家に帰るとご飯が用意されていること
・お風呂や布団が気持ちよいこ
・今日も大切な人の隣で眠りにつけること
幸せを感じられる人たちは、幸せになるためには自分の中を探すべきことや、幸せのインフレを起こすべきでないことを知っています。彼らは、これら小さな喜びや幸せを感じています。彼らはこれらのことを、高価であるか安価であるかで計ることができないもので、かつ誰でもできる経験とは言い切れないこととして捉えているのです。
小さい幸せを「感じる」心を
自分の身に起きていること自体を貴重な経験であると自覚することが、彼らを幸せにしていると言えるでしょう。普通の1日の暮らしにおいて起こる普通のことが貴重なことであると捉え、自分の状況に常に感謝をしているのです。日常から幸せを「感じる」とはまさにこのことなのでしょう。実は考え方を変えるだけで、誰だって幸せにはなれます。はじめは自然に感じ取ることが難しいかもしれません。
能動的な思考
幸せを捉える技"能動的思考力”
幸せは、感じようとしなければそのまま過ぎ去ります。無論、過ぎ去るのは自分自身です。幸せはそこにあるのですから。でも、逆を言えば感じられる人には全てのことが幸せで有難いことに捉えることができるのです。感じようとしない人は、降りかかってきたものをただただそのままに受け取ります。毬栗が落ちてきたら、それは『とがった危険なものが落ちてきた』という認識となります。でも、感じようとする人は、毬栗が落ちてきたことに良い意味を見出そうとし、そうすることで中に美味しい実を見つけ出すことができるのです。一見ただ道を歩いているだけに見える両者は、同じレベルで生きているように見えますが、受動的であるか能動的であるかの違いにより、得られるものが全く異なります。"能動的思考力”をつけることで、自らの幸せを自ら切り開くことができるのです。
能動的思考力の小話
考え方の異なる2人のお話
例えば、一人の老人が散歩をしていたとしましょう。
すると、幸せの鳥と言われている鳥が、老人の進む道にどこからか飛んできました。
足を止めて、その鳥をしばらく眺めていると、鳥はどこかへと飛び去っていきました。
そして「ああ、私の幸せが逃げていった・・・」と老人は嘆きました。
その日から自分の不幸を思って病み、とうとう体調を崩してしまいました。
一方で、もう一人の老人が散歩をしていました。
すると幸せの鳥が飛んできて、老人の前に降り立ち、そして去っていきました。
その老人は「ああ、私に幸せがやってきた」と言いました。
その日からその老人は良いことが起こる気がして、ワクワクして過ごしました。
何にフォーカスするのか?
我々の世界では、このようなことがたくさん起こっているのですが、あなたはどちらのタイプでしょうか。
最初の老人は、<span style="font-size: 150%">自分のところから鳥が去っていったことにフォーカス</span>しています。
2人目の老人は、<span style="font-size: 150%">自分のところに鳥が来てくれたことにフォーカス</span>しています。
起こった事象は鳥が自分のところに来て、そして帰っていったという事柄ではありますが、
それを体験する人間が何にフォーカスするかが変わるだけで、感じ方が異なり、感じ方が異なるということはそれを受けての影響が異なり、その影響で全くの異世界を創り出しているのです。
幸せのための"幸せな理解”
幸せを感じることは幸せな理解をすること
私たちの世界は私たちが創っていますが、ときに自分たちが自分たちの世界を創っていることを忘れがちなのかもしれません。
自分たちにもたらされている結果が、自分が原因で引き起こったことであるという認識をできないでいることがあります。
誰かにきついことを言われた時に、その事象が『嫌だ』と感じることを選んでいるのは自分自身であるはずです。
仕事がうまくいかない時に、その事象が『最悪だ』と感じることを選んでいるのも自分自身です。
パートナーと喧嘩した時に、その事象や相手に対して『もう嫌い!』と感じることさえも、お分かりの通り選んでいるのは自分自身なのです。
幸せを握るのは自分の思考
起こった事象に対していかに"幸せな理解”ができるか、これだけで今自分に見えている世界が変わります。
誰かにきついことを言われた時に、『あの人は自分のために言ってくれた』と理解します。
仕事がうまくいかない時に、『このうまくいかなかったことは次回からはやらないようにしよう。また一つ知識が増えた』と理解します。パートナーと喧嘩した時に、『私もこういうところがあった』と自分の非を認めるように理解します。
こんな風に"幸せな理解”を心掛けるだけで、確実にあなたの世界は変わっていくのです。<u>あなたの世界は一つしかありません。それはあなたが見ている世界です。だからこそ、何を見るのか、どんな気持ちで見るのかで、その世界を変えることができるのです。
</u>
能動的に考えて幸せになる
自分に降りかかる困難を、誰かのせいにしていても、毬栗の痛さに途中で心が折れてしまうだけです。その場では簡単なことのように思えても、長期的に見るとかえって自分を傷つけてしまい、結果手元にはなにも残りません。けれど、毬栗が落ちてきたことは自分にとって必要なことに違いないと、毬栗を調べ、前向きに動くことで、悪いことばかりでないことに後に気が付くことになるのです。そして、一度毬栗の中の栗の実を見つけた人は、次の困難な状況にも立ち向かう気力と、信じる力が養われやすくなります。つまり、良い循環がそこから始まっていくのです。感じ方次第、感じようとすることだけで物事の見え方が変わるのであれば、これを変えない手はありません。幸せは決して自分の身に降りかかるものではないのです。自分から気づき拾い上げるものなのです。
さいごに
幸せになっている人たちは、自分の身に起きたことを幸せに変える力を持っていたのです。いや、彼らからすれば、幸せなことが自分の身にたくさん起こると捉えていることでしょう。幸せは自分の中にあり、感じれば幸せになれる、という考え方を持っているだけで、物事の捉え方が変わり、人生の見え方が変わってくるということを知っているのです。幸せはただそこに在ります。作ることも手に入れることもしなくてよいのです。ただ感じて、幸せな理解をすれば良いのです。
KATO
夢や目標が叶わなかったかどうかは、続けてみないと分からない理由
はじめに
「富士山に登ろうと心に決めた人だけが富士山に登ったんです。散歩のついでに登った人はひとりもいませんよ」
漫画家のジョージ秋山の作品『浮浪雲 7巻』で出てくる言葉です。当たり前のことですが、目標を心に決めることがどれだけ大切かを説いています。「あんな人みたいになりたいけれど、でもあの人はあの人だからああなれたんだ」と、自分の理想像にすら掲げずに終わってしまう人はたくさんいるのかなと思います。でもなりたい自分像を掲げないで、どうしてその姿に近づくことができるでしょうか?また、継続せずに、その理想が自分の人生において"叶わぬもの”と、どうしてわかるのでしょうか?
なぜ目標が必要なのか
目標が指針を決める
毎日朝起きてから出かけるまでの間に行う習慣は、「出かけるため」の決め事です。その習慣の中には、出かける際に整えておきたいことが詰まっていることでしょう。行動の選択肢が無数にある中で迷わずに行動できるのは、自分で決めたやるべき行動が定められているからです。それら決め事がなければそれだけ迷う回数も増え、本来行うべきことではないことを選んでしまうこともあるでしょう。そしてその決め事は、目標がなければ定めることはできません。美しくなりたいのか?頭がよくなりたいのか?それによって詰め込みたい習慣が変わってくるからです。
目標がなければ流されてしまう
指針がなければそれだけ迷い、正しい判断ができないのは、自分の生き方、暮らし方にも同じことが言えるのではないでしょうか。生き方の選択肢は無数にあります。自分が「なりたい自分になるため」の決め事がなければ、状況に流されてしまうこともあるでしょう。考える時間が不十分のため、本来行うべきことを見逃してしまうこともあるはずです。そうならないために必要なのが自分のためのルール・テーマであり、その道筋を作っているのが目標なのです。
進むべき道を明確にしたい
どんな自分になりたいでしょうか?自分が守りたいことはなんでしょうか?言い訳をしないこと、感謝を伝えること、複雑に考えずにシンプルな選択を心掛けること、笑顔を絶やさないこと、人の発言を否定しないこと、話をよく聞くこと、食器はその都度洗うこと、朝起きたら掃除をすること、毎日本を読むこと、筋トレをすること・・・。取り入れたいことは考える人の数だけありますが、自分が理想としている人物像に近づくために、自分の目標を明確にすることで、やるべきことが自ずと決まり、進むべき道がより明確になるのです。
目標は人生の指針
コンパスは目的があってこそ生かされる
理想や夢や目標などはいわば人生の指針です。そして自分自身がコンパスで、もし万が一指針と異なる方面に向かっていたら軌道修正をします。では指標がなければどうなるでしょうか?コンパスだけでは何も始まらないのと一緒です。自分の前方が北か南か東か西かしか分かりません。例えそれが分かったところで行く先がなければ、ただ無意味な情報であるも同然ですよね。理想を掲げないで生きていくことは、コンパスがただ一つコロンと道に転がっているような状態と同じなのです。
指針があれば分かれ道に強くなれる
そもそも指針がないままに歩いているで分かれ道が来たとき、何をもとにどちらの道を選ぶか決めれば良いのでしょうか。理想や夢がなければ、その分かれ道がそれに辿り着く為の重要な決断であるかどうかさえも知らず選ぶことになります。たまたま選んだ道が夢が叶う道であっても、それを"夢”と思っていなければ、その先にある高い壁を乗り越える勇気や熱意はきっとありません。その道の価値が分かりませんから。
夢のこども"希望”
希望も夢である
夢は、「マイホームを買いたい」「脱サラして起業したい」と描いた大それたものばかりが夢ばかりではありません。「ゆっくりとした時間を過ごしたい」「もっと早く家に帰りたい」と願っていることも立派な夢です。夢が願うものであるならば、小さな願望でさえも夢であるはずだからです。人が大きな願望だけを夢とみなすのは、どこかで夢を"叶わないもの”だと思っているからでしょう。叶わないほど大きな願望を夢とみなし、「帰ったらビールを飲みたい」「帰ったらお風呂に浸かりたい」こんな小さな願望は叶う程度の願望だから夢と呼ばないと、自然と考えてしまっているのです。
夢を叶える感度を高める
小さな願望を夢と思わないことで、自分が求めているそれらが叶うことは当たり前であると脳が認識してしまいます。だからビールを飲めたとしても、お風呂に浸かることができたとしても、その行動に伴う美味しさや気持ちよさだけの快感にとどまってしまうのです。小さな夢たちが叶い幸せなはずなのに、いざ「幸せですか?」と問われると、自分は幸せでないと回答する人がいるのは、その瞬間の幸せを大切なものと見なせていないからです。幸せをもっと味わうためには、幸せをもっと感じることができる体質づくりが重要です。つまり、夢を叶える感度を高める必要があるのです。
日常の小さな夢も認識する
そのために必要なことが、小さな願望でもきちんと夢とみなすこと。小さな願望を自分の夢だと捉えることで、夢を叶える喜びを感じることができます。これまではビールが美味しい、お風呂が気持ちいいと思うだけだった感覚とは変わり、自分は今日も夢を叶えた、という達成感まで得られてしまうから不思議です。夢を叶える気持ちよさは、より自分自身の深いところで感じることができる気持ちよさです。夢を叶えることが自分にもできるという自信がつくことで、日常の中の小さな願望から、もう少し大きめの願望をも叶えられる気持ちになることができます。
夢に失敗はない
夢は死ぬまで結果がどうなるか分からない
生きていることは一本の線のようなもので途切れることはありません。線を引く為にはスタート地点と目的地が必ず必要です。スタートしようと思ってペン先を紙に置いても、行く先が分からなかったらどうペンを動かせば良いのかが分かりませんよね。これと一緒で人生という線を引いて行くには必ず目印、つまり目標や夢や理想が必要なのです。また、その線がどんな線となるのかは終わるまでは分かりません。
生きている限り夢は育ち続ける
生きている限り線は描かれ続けます。仮に目的地を一度通り過ぎていても戻ることも可能です。紆余曲折あっても目的地に辿りつくことは可能なことなのです。夢を持つことの大切さに遅く気がついても、夢を持ってから一筋縄でいかなくても、夢が終わったとは誰にも言い切れないものなのです。誰かがあなたの夢を馬鹿にしたり、絶対にできないと言ったりしても、その人にさえ分かることではないのです。人生という線の中で夢は目的地です。生きている限り途切れることはない線を導くために夢があるのです。
継続することがもたらすもの
継続がもたらした数々のドラマ
ある夫婦の話をしましょう。樹木希林さんと内田裕也さんは、結婚生活の間ほとんど別居し、樹木希林さんの最期の時までその形を貫いたとのことでした。「夫婦と言えるのか?」「円満だったのか?」と疑問視をされることはたびたびあったと言います。ましてや、今よりももっと体裁を気にする人も多い時代、きっとその声は多かったことでしょう。けれども2人は、誰に何を言われても、このような夫婦関係を維持しました。
そしてある人は言いました。「一気にすごくなったら今の自分とギャップがありすぎる。だから一歩ずつ進む。前進していくというよりかは後退しかしないこともある。でも信じて続けていく。」これはイチロー選手の引退会見での言葉です。維持する、立ち止まっても後退しても良いから継続する、この大切さはそれぞれが教えてくれています。
継続することで得られたエンディング
樹木希林さんと内田裕也さん2人の関係が1本の映画であるとするならば、2人が別居婚を決意したのは、フィルムに刻まれた数々の場面の“起”の段階に過ぎないのでしょう。この生活に慣れ、お互いにとって良い決断だったと、別居婚により深い理解をできるようになった“承”の時期もあれば、寂しさを感じたり、憤りや後悔を感じる“転”の時期もあったかもしれません。でも、2人は2人の在り方を信じて全うしました。樹木希林さんの死をもってこの物語は静かに結ばれました。そしてそこにあったのは、2人の姿に心を動かされる人たちです。2人の夫婦関係は、夫婦を辞めなかったことでより意味のあるものになったのです。もし2人が夫婦を辞めていたら、別の物語となり2人の物語は途中で終わってしまっていました。
継続しなければ誰もその終わりを知ることはない
それは、何事にも良いときと悪いときがあるもので、それを乗り越え完結させたときにその全貌が見えてくるということを教えてくれました。撮り始めたばかりの映画を、一度の悪いときに差し掛かっただけで辞めてしまったら、その物語を完成させることはできません。悪い場面で止まってしまった映画は、永遠に悪い物語のままです。逆を言えば物語が完成すると、その場面は、笑い話となり物語の味となるでしょう。最後まで貫き通すことで意味を成すことがあることを知っているだけで、うまくいかずに途中で投げ出すことが勿体なく感じないでしょうか。
前進することだけが継続ではない
前進はしていなくても道のりの途中にいることがあり得ることをイチロー選手は教えてくれています。前進は、自分の成長がより感じられ、プラスの思考は流れを良くします。しかし、ポジティブ・+(プラス)・前進だけがわたしたちの歩みではないのです。ネガティブ・-(マイナス)・後退、そして立ち止まることもその道のりなのです。何かを目指すとき、成果がすぐ出るものもあれば、何年、何十年と成果が出るまでに時間がかかるものもあります。成果がすぐ出れば、それは自分のモチベーションアップや維持に繋がり、その後もそれを目指すことを続けられるでしょう。成果がなかなか出ないものは、ほとんど変化がない状態を目の当たりにしなければなりません。しかし、変化がないものを目指し続けるというのは、私たちにとってなかなか難しいことです。成果が出ない、変化が出ないものを待てるほど人間は長い寿命を約束されているわけではありません。そういうことも相まって、何かを目指すときに前進しか認めないことが多いのです。私たちのほとんどは、後退は然ることながら立ち止まることすら許しません。でもイチロー選手は、それも夢の途中であると教えてくれています。
いろいろな経験をすることが、自分を夢に近づける
確かにイチロー選手が言うように、一気にすごくなってしまったら、手に入れたものをうまく使いこなせるほど自分の器が大きくないことでしょう。一歩一歩を進むからこそ、手に入れたものにふさわしい自分になる準備をすることができるので、す。手に入れた時に、自分がそれを手にすることが当たり前だと自分で思えるように。準備をする時間が長ければ長いほど、その夢は大きいものであり、逃さずに捕まえるべきものであることを表しているのです。立ち止まったり後退するからといって、自分の夢が終わったと思ってはいけません。夢は、目指すことを止めてしまったときに本当の終わりを迎えます。自分が変わらずにそれを目指したいと思うのであれば、まだ夢の途中にいるということなのです。
さいごに
幸せになるためには、自分が夢を叶えることができる人間であるということを、自分自身に分からせることが大切です。小さな夢から大きな夢まで、人生の指針となるものがあるだけで、人生の満足度を上げてくれるでしょう。ただ、それも途中であきらめてしまっては、本当のエンディングを見ることはできません。私たちは生きている限り、まだ良い物語を作ることができます。今だけを切り取って見ればバッドエンディングでも、きっと続けた先には素敵な物語が完成するようにできているのです。厳しいときが、人生という映画の名場面になることを知らないままでしょう。成果が出づらいものが成功するのを待てるほどに人の一生は長くないですが、長くない一生の中でさえ夢を描き続けることができないのであれば、例え不死身になったとしても同じです。大業を成し遂げたイチロー選手が言うのですから、一歩一歩を進むことが一番の近道なことは間違いないでしょう。素晴らしいエンディングを見せてくれた樹木希林さんと内田裕也さんのように、継続することでしか見られない景色を見られるかは自分次第なのです。
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初出掲載:2021/03/22
運営者:KATO