幸せ暮らしのコツブログ

幸せな暮らし、幸せになる方法を探す人のためのブログ

夢や目標が叶わなかったかどうかは、続けてみないと分からない理由

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はじめに

 「富士山に登ろうと心に決めた人だけが富士山に登ったんです。散歩のついでに登った人はひとりもいませんよ」

漫画家のジョージ秋山の作品『浮浪雲 7巻』で出てくる言葉です。当たり前のことですが、目標を心に決めることがどれだけ大切かを説いています。「あんな人みたいになりたいけれど、でもあの人はあの人だからああなれたんだ」と、自分の理想像にすら掲げずに終わってしまう人はたくさんいるのかなと思います。でもなりたい自分像を掲げないで、どうしてその姿に近づくことができるでしょうか?また、継続せずに、その理想が自分の人生において"叶わぬもの”と、どうしてわかるのでしょうか?

 

なぜ目標が必要なのか

目標が指針を決める

毎日朝起きてから出かけるまでの間に行う習慣は、「出かけるため」の決め事です。その習慣の中には、出かける際に整えておきたいことが詰まっていることでしょう。行動の選択肢が無数にある中で迷わずに行動できるのは、自分で決めたやるべき行動が定められているからです。それら決め事がなければそれだけ迷う回数も増え、本来行うべきことではないことを選んでしまうこともあるでしょう。そしてその決め事は、目標がなければ定めることはできません。美しくなりたいのか?頭がよくなりたいのか?それによって詰め込みたい習慣が変わってくるからです。

 

目標がなければ流されてしまう

指針がなければそれだけ迷い、正しい判断ができないのは、自分の生き方、暮らし方にも同じことが言えるのではないでしょうか。生き方の選択肢は無数にあります。自分が「なりたい自分になるため」の決め事がなければ、状況に流されてしまうこともあるでしょう。考える時間が不十分のため、本来行うべきことを見逃してしまうこともあるはずです。そうならないために必要なのが自分のためのルール・テーマであり、その道筋を作っているのが目標なのです。

 

 

進むべき道を明確にしたい

 どんな自分になりたいでしょうか?自分が守りたいことはなんでしょうか?言い訳をしないこと、感謝を伝えること、複雑に考えずにシンプルな選択を心掛けること、笑顔を絶やさないこと、人の発言を否定しないこと、話をよく聞くこと、食器はその都度洗うこと、朝起きたら掃除をすること、毎日本を読むこと、筋トレをすること・・・。取り入れたいことは考える人の数だけありますが、自分が理想としている人物像に近づくために、自分の目標を明確にすることで、やるべきことが自ずと決まり、進むべき道がより明確になるのです。

 

 

目標は人生の指針

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コンパスは目的があってこそ生かされる

理想や夢や目標などはいわば人生の指針です。そして自分自身がコンパスで、もし万が一指針と異なる方面に向かっていたら軌道修正をします。では指標がなければどうなるでしょうか?コンパスだけでは何も始まらないのと一緒です。自分の前方が北か南か東か西かしか分かりません。例えそれが分かったところで行く先がなければ、ただ無意味な情報であるも同然ですよね。理想を掲げないで生きていくことは、コンパスがただ一つコロンと道に転がっているような状態と同じなのです。

 

 

指針があれば分かれ道に強くなれる

そもそも指針がないままに歩いているで分かれ道が来たとき、何をもとにどちらの道を選ぶか決めれば良いのでしょうか。理想や夢がなければ、その分かれ道がそれに辿り着く為の重要な決断であるかどうかさえも知らず選ぶことになります。たまたま選んだ道が夢が叶う道であっても、それを"夢”と思っていなければ、その先にある高い壁を乗り越える勇気や熱意はきっとありません。その道の価値が分かりませんから。

 

 

夢のこども"希望”

希望も夢である

夢は、「マイホームを買いたい」「脱サラして起業したい」と描いた大それたものばかりが夢ばかりではありません。「ゆっくりとした時間を過ごしたい」「もっと早く家に帰りたい」と願っていることも立派な夢です。夢が願うものであるならば、小さな願望でさえも夢であるはずだからです。人が大きな願望だけを夢とみなすのは、どこかで夢を"叶わないもの”だと思っているからでしょう。叶わないほど大きな願望を夢とみなし、「帰ったらビールを飲みたい」「帰ったらお風呂に浸かりたい」こんな小さな願望は叶う程度の願望だから夢と呼ばないと、自然と考えてしまっているのです。

 

 

夢を叶える感度を高める

小さな願望を夢と思わないことで、自分が求めているそれらが叶うことは当たり前であると脳が認識してしまいます。だからビールを飲めたとしても、お風呂に浸かることができたとしても、その行動に伴う美味しさや気持ちよさだけの快感にとどまってしまうのです。小さな夢たちが叶い幸せなはずなのに、いざ「幸せですか?」と問われると、自分は幸せでないと回答する人がいるのは、その瞬間の幸せを大切なものと見なせていないからです。幸せをもっと味わうためには、幸せをもっと感じることができる体質づくりが重要です。つまり、夢を叶える感度を高める必要があるのです。

 

 

 日常の小さな夢も認識する

そのために必要なことが、小さな願望でもきちんと夢とみなすこと。小さな願望を自分の夢だと捉えることで、夢を叶える喜びを感じることができます。これまではビールが美味しい、お風呂が気持ちいいと思うだけだった感覚とは変わり、自分は今日も夢を叶えた、という達成感まで得られてしまうから不思議です。夢を叶える気持ちよさは、より自分自身の深いところで感じることができる気持ちよさです。夢を叶えることが自分にもできるという自信がつくことで、日常の中の小さな願望から、もう少し大きめの願望をも叶えられる気持ちになることができます。

 

 

夢に失敗はない

夢は死ぬまで結果がどうなるか分からない

生きていることは一本の線のようなもので途切れることはありません。線を引く為にはスタート地点と目的地が必ず必要です。スタートしようと思ってペン先を紙に置いても、行く先が分からなかったらどうペンを動かせば良いのかが分かりませんよね。これと一緒で人生という線を引いて行くには必ず目印、つまり目標や夢や理想が必要なのです。また、その線がどんな線となるのかは終わるまでは分かりません。

 

 

生きている限り夢は育ち続ける

生きている限り線は描かれ続けます。仮に目的地を一度通り過ぎていても戻ることも可能です。紆余曲折あっても目的地に辿りつくことは可能なことなのです。夢を持つことの大切さに遅く気がついても、夢を持ってから一筋縄でいかなくても、夢が終わったとは誰にも言い切れないものなのです。誰かがあなたの夢を馬鹿にしたり、絶対にできないと言ったりしても、その人にさえ分かることではないのです。人生という線の中で夢は目的地です。生きている限り途切れることはない線を導くために夢があるのです。

 

 

継続することがもたらすもの

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継続がもたらした数々のドラマ

ある夫婦の話をしましょう。樹木希林さんと内田裕也さんは、結婚生活の間ほとんど別居し、樹木希林さんの最期の時までその形を貫いたとのことでした。「夫婦と言えるのか?」「円満だったのか?」と疑問視をされることはたびたびあったと言います。ましてや、今よりももっと体裁を気にする人も多い時代、きっとその声は多かったことでしょう。けれども2人は、誰に何を言われても、このような夫婦関係を維持しました。
そしてある人は言いました。「一気にすごくなったら今の自分とギャップがありすぎる。だから一歩ずつ進む。前進していくというよりかは後退しかしないこともある。でも信じて続けていく。」これはイチロー選手の引退会見での言葉です。維持する、立ち止まっても後退しても良いから継続する、この大切さはそれぞれが教えてくれています。

 

継続することで得られたエンディング

樹木希林さんと内田裕也さん2人の関係が1本の映画であるとするならば、2人が別居婚を決意したのは、フィルムに刻まれた数々の場面の“起”の段階に過ぎないのでしょう。この生活に慣れ、お互いにとって良い決断だったと、別居婚により深い理解をできるようになった“承”の時期もあれば、寂しさを感じたり、憤りや後悔を感じる“転”の時期もあったかもしれません。でも、2人は2人の在り方を信じて全うしました。樹木希林さんの死をもってこの物語は静かに結ばれました。そしてそこにあったのは、2人の姿に心を動かされる人たちです。2人の夫婦関係は、夫婦を辞めなかったことでより意味のあるものになったのです。もし2人が夫婦を辞めていたら、別の物語となり2人の物語は途中で終わってしまっていました。


 継続しなければ誰もその終わりを知ることはない

それは、何事にも良いときと悪いときがあるもので、それを乗り越え完結させたときにその全貌が見えてくるということを教えてくれました。撮り始めたばかりの映画を、一度の悪いときに差し掛かっただけで辞めてしまったら、その物語を完成させることはできません。悪い場面で止まってしまった映画は、永遠に悪い物語のままです。逆を言えば物語が完成すると、その場面は、笑い話となり物語の味となるでしょう。最後まで貫き通すことで意味を成すことがあることを知っているだけで、うまくいかずに途中で投げ出すことが勿体なく感じないでしょうか。


前進することだけが継続ではない

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前進はしていなくても道のりの途中にいることがあり得ることをイチロー選手は教えてくれています。前進は、自分の成長がより感じられ、プラスの思考は流れを良くします。しかし、ポジティブ・+(プラス)・前進だけがわたしたちの歩みではないのです。ネガティブ・-(マイナス)・後退、そして立ち止まることもその道のりなのです。何かを目指すとき、成果がすぐ出るものもあれば、何年、何十年と成果が出るまでに時間がかかるものもあります。成果がすぐ出れば、それは自分のモチベーションアップや維持に繋がり、その後もそれを目指すことを続けられるでしょう。成果がなかなか出ないものは、ほとんど変化がない状態を目の当たりにしなければなりません。しかし、変化がないものを目指し続けるというのは、私たちにとってなかなか難しいことです。成果が出ない、変化が出ないものを待てるほど人間は長い寿命を約束されているわけではありません。そういうことも相まって、何かを目指すときに前進しか認めないことが多いのです。私たちのほとんどは、後退は然ることながら立ち止まることすら許しません。でもイチロー選手は、それも夢の途中であると教えてくれています。


いろいろな経験をすることが、自分を夢に近づける

確かにイチロー選手が言うように、一気にすごくなってしまったら、手に入れたものをうまく使いこなせるほど自分の器が大きくないことでしょう。一歩一歩を進むからこそ、手に入れたものにふさわしい自分になる準備をすることができるので、す。手に入れた時に、自分がそれを手にすることが当たり前だと自分で思えるように。準備をする時間が長ければ長いほど、その夢は大きいものであり、逃さずに捕まえるべきものであることを表しているのです。立ち止まったり後退するからといって、自分の夢が終わったと思ってはいけません。夢は、目指すことを止めてしまったときに本当の終わりを迎えます。自分が変わらずにそれを目指したいと思うのであれば、まだ夢の途中にいるということなのです。

 

さいごに

幸せになるためには、自分が夢を叶えることができる人間であるということを、自分自身に分からせることが大切です。小さな夢から大きな夢まで、人生の指針となるものがあるだけで、人生の満足度を上げてくれるでしょう。ただ、それも途中であきらめてしまっては、本当のエンディングを見ることはできません。私たちは生きている限り、まだ良い物語を作ることができます。今だけを切り取って見ればバッドエンディングでも、きっと続けた先には素敵な物語が完成するようにできているのです。厳しいときが、人生という映画の名場面になることを知らないままでしょう。成果が出づらいものが成功するのを待てるほどに人の一生は長くないですが、長くない一生の中でさえ夢を描き続けることができないのであれば、例え不死身になったとしても同じです。大業を成し遂げたイチロー選手が言うのですから、一歩一歩を進むことが一番の近道なことは間違いないでしょう。素晴らしいエンディングを見せてくれた樹木希林さんと内田裕也さんのように、継続することでしか見られない景色を見られるかは自分次第なのです。

 

 

KATO