幸せ暮らしのコツブログ

幸せな暮らし、幸せになる方法を探す人のためのブログ

「感じる」心を育てて幸せになる。~能動的に幸せな理解をするということ~

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はじめに

どうすれば幸せになれるだろうか?そう考えて人は幸せになるためのノウハウを知りたがります。それは、今の自分では幸せをつかむことがどこか叶わぬことと思っているからです。幸せそうなあの人が持っているモノを集めるなど、誰かを真似て幸せになるわけでないことは、自分が一番わかっているはずなのに、周りの基準につい踊らされてしまいます。しかし、真似することが全てでないとは言え、幸せになっている人にはある特徴があったのです。

 

 

幸せになるためにやりがちなこと

がむしゃらに誰かを真似る

誰かを目標にすることは、自分が頑張るための指標になるため有効です。しかし、幸せそうにしている誰かが持っているモノを集めることでは、少々足りていないかもしれません。そのモノが、あなたの暮らしにハリを与え、暮らしぶりを素敵に変えてくれるような、必要なものであればよいのですが、ただ幸せそうにしている人が持っているモノに同調しただけであれば、本当の自分が求めるものとは違うものを集めてしまっているかもしれません。しいて言うのであれば、そのモノを持つことで「幸せになれる」という信じ込む力が、あなたに幸せをもたらしていることは確かです。だとすると、幸せになるための方法とは「幸せを感じること」であり、モノを集めることではないのではないでしょうか。

 

 

お金や物に頼る

幸せはなかなか測れないものです。ただ、経済的に豊かであるかどうかが、人の目には幸せそうに映ることは確かでしょう。それゆえに「もっと金が欲しい」「もっとモノが欲しい」と考えてしまいます。自分が持っていないものを手に入れることで、幸せになれると考えているからでしょう。幸せが自分の外側にあると思っているから、お金を手に入れようとしたり、モノを探して外の世界ばかりに目を向けがちです。しかし、本当に幸せは自分の外にあるのでしょうか?なかなか幸せが見つからないのは、幸せが自分の内側にあるものだからではないでしょうか?

 

 

幸せは自分の中にある

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幸せの定義

幸せな人がどういう人であるかの問いの答えは、これまでにいくつもの答えがあったはずですが、答えがいくつもあるのは、答える人の数だけ答えがあるからです。幸せの形は、幸せな人の数だけある。月並みですが、幸せとはつまり自分が決めることなのです。幸せな人がどういう人であるか誰も分からない以上、今の自分が幸せかどうかを決めるのは自分自身で、自分が幸せであると自覚しないことを決めているのも、紛れもなく自分です。自分が幸せでないと決めているのが自分自身であるならば、自分が幸せであると決めることができるのも、これまた自分自身と言えるのです。

 

幸せは灯台下暗し

「幸せでないから幸せを感じることは無理」「幸せになる方法を探している」という人は、そもそも自分の中に幸せがあるとは考えてもいません。だから探しもしませんから見つけることもありません。探し物をしているとき、自分の思い込みによって探す場所の候補から外されている場所ほど、探し物が見つかるということがないでしょうか。探しているものを実は自分が持っていたという時ほど、「先にここを探しておけばよかった」と後悔しますよね。探さない理由なんてないはずなのに、勝手に決めつけて探さないのはもったいないことなのです。つまり、自分は幸せを手にしたこともなければ、自分の側に幸せが転がっているに違いないと思わないことは、自ら幸せに出遭うタイミングを逃してしまっているようなものなのです。

 

 

幸せのインフレ

自分の中に幸せがあるかもしれないことが分かったうえで、ではどうやって自分の中の幸せを見つけることができるのでしょうか。例えば、ずっと憧れていた1杯1000円の高級コーヒーを喫茶店で飲むことができた時、今までは1杯100円のコーヒーを飲むことが普通である人にとってはとても幸せな気持ちになります。でも、毎日飲めるようになると、いつしか1杯1000円のコーヒーを飲むことが普通のことに思えてきます。こんな風に幸せを感じるためのレベルがどんどん上がる「幸せのインフレ」が起きていきます。高価なものや、貴重な経験ばかりが幸せだと思うようになり、自分の経済力が追い付かなくなったり、安価なものや、誰でもできる経験だけでは満足できなくなる「幸せのインフレ」が起こってしまうのです。自分の中の幸せを見誤ると、この現象が起こることがあります。

 

 

幸せな人ほど小さい幸せが好き

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小さな変化に気がつくことが幸せにつながる理由

積み重ねが大きな変化を生む

自分自身が毎日の暮らしの積み重ねでできていくものであることは事実です。そうであるが故に、積み重ねるものの違いでできるものも異なります。どれだけ小さなことでも、毎日感じた小さな幸せたちは、確実に私たちの心に幸せの城を築きます。そして、小さな幸せに気がつけるということは、日常の小さな変化にも気がつけるということ。日常の小さな変化に気がつけると、自分の中に生じたズレも小さなうちから対処することができます。こうした小さなコトは、いずれ大きな成果となって返って来るものです。


余裕が出る

小さな変化に気がつくために、もっとあらゆるものに目を留めるようになり、人生をゆっくり歩めることでしょう。つまり余裕が出てきます。より一層今まで目に留まらなかったものが目に留まるようになります。普段当たり前にやっているようなことでも、小さな変化や小さな幸せを知るだけで、それらがまるで新たなことのように世界が広がります。

 

毎日小さい幸せを見つけよう

心を満たしてくれることが小さなことであればあるほどに、その小さなこと以上のことは全て「幸せ」と捉えられるようになり、幸せの幅は広がっていきます。
心を満たしてくれる小さなことは案外自分の日々の暮らしに転がっています。

・朝起きた時に大切な人が横にいること

・朝良い天気で迎えられたこと

・友人と一緒にカフェで1杯100円のコーヒーを飲みながら楽しい時間を過ごすこと

・作った料理が美味しいこと

・出勤時に割り込んだ人に快く先を譲って良い人の気分を味わえたこと

・仕事仲間が遅れたおかげで隙間時間で別の仕事ができたこと

・疲れて家に帰るとご飯が用意されていること

・お風呂や布団が気持ちよいこ

・今日も大切な人の隣で眠りにつけること

幸せを感じられる人たちは、幸せになるためには自分の中を探すべきことや、幸せのインフレを起こすべきでないことを知っています。彼らは、これら小さな喜びや幸せを感じています。彼らはこれらのことを、高価であるか安価であるかで計ることができないもので、かつ誰でもできる経験とは言い切れないこととして捉えているのです。

 

 

小さい幸せを「感じる」心を

自分の身に起きていること自体を貴重な経験であると自覚することが、彼らを幸せにしていると言えるでしょう。普通の1日の暮らしにおいて起こる普通のことが貴重なことであると捉え、自分の状況に常に感謝をしているのです。日常から幸せを「感じる」とはまさにこのことなのでしょう。実は考え方を変えるだけで、誰だって幸せにはなれます。はじめは自然に感じ取ることが難しいかもしれません。

 

 

能動的な思考

幸せを捉える技"能動的思考力”

幸せは、感じようとしなければそのまま過ぎ去ります。無論、過ぎ去るのは自分自身です。幸せはそこにあるのですから。でも、逆を言えば感じられる人には全てのことが幸せで有難いことに捉えることができるのです。感じようとしない人は、降りかかってきたものをただただそのままに受け取ります。毬栗が落ちてきたら、それは『とがった危険なものが落ちてきた』という認識となります。でも、感じようとする人は、毬栗が落ちてきたことに良い意味を見出そうとし、そうすることで中に美味しい実を見つけ出すことができるのです。一見ただ道を歩いているだけに見える両者は、同じレベルで生きているように見えますが、受動的であるか能動的であるかの違いにより、得られるものが全く異なります。"能動的思考力”をつけることで、自らの幸せを自ら切り開くことができるのです。


能動的思考力の小話

考え方の異なる2人のお話

例えば、一人の老人が散歩をしていたとしましょう。
すると、幸せの鳥と言われている鳥が、老人の進む道にどこからか飛んできました。
足を止めて、その鳥をしばらく眺めていると、鳥はどこかへと飛び去っていきました。
そして「ああ、私の幸せが逃げていった・・・」と老人は嘆きました。
その日から自分の不幸を思って病み、とうとう体調を崩してしまいました。
一方で、もう一人の老人が散歩をしていました。
すると幸せの鳥が飛んできて、老人の前に降り立ち、そして去っていきました。
その老人は「ああ、私に幸せがやってきた」と言いました。
その日からその老人は良いことが起こる気がして、ワクワクして過ごしました。

 


何にフォーカスするのか?

我々の世界では、このようなことがたくさん起こっているのですが、あなたはどちらのタイプでしょうか。
最初の老人は、<span style="font-size: 150%">自分のところから鳥が去っていったことにフォーカス</span>しています。
2人目の老人は、<span style="font-size: 150%">自分のところに鳥が来てくれたことにフォーカス</span>しています。
起こった事象は鳥が自分のところに来て、そして帰っていったという事柄ではありますが、
それを体験する人間が何にフォーカスするかが変わるだけで、感じ方が異なり、感じ方が異なるということはそれを受けての影響が異なり、その影響で全くの異世界を創り出しているのです。

 


幸せのための"幸せな理解”

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幸せを感じることは幸せな理解をすること

私たちの世界は私たちが創っていますが、ときに自分たちが自分たちの世界を創っていることを忘れがちなのかもしれません。
自分たちにもたらされている結果が、自分が原因で引き起こったことであるという認識をできないでいることがあります。
誰かにきついことを言われた時に、その事象が『嫌だ』と感じることを選んでいるのは自分自身であるはずです。
仕事がうまくいかない時に、その事象が『最悪だ』と感じることを選んでいるのも自分自身です。
パートナーと喧嘩した時に、その事象や相手に対して『もう嫌い!』と感じることさえも、お分かりの通り選んでいるのは自分自身なのです。

 


幸せを握るのは自分の思考

起こった事象に対していかに"幸せな理解”ができるか、これだけで今自分に見えている世界が変わります。
誰かにきついことを言われた時に、『あの人は自分のために言ってくれた』と理解します。
仕事がうまくいかない時に、『このうまくいかなかったことは次回からはやらないようにしよう。また一つ知識が増えた』と理解します。パートナーと喧嘩した時に、『私もこういうところがあった』と自分の非を認めるように理解します。
こんな風に"幸せな理解”を心掛けるだけで、確実にあなたの世界は変わっていくのです。<u>あなたの世界は一つしかありません。それはあなたが見ている世界です。だからこそ、何を見るのか、どんな気持ちで見るのかで、その世界を変えることができるのです。
</u>

 


能動的に考えて幸せになる

自分に降りかかる困難を、誰かのせいにしていても、毬栗の痛さに途中で心が折れてしまうだけです。その場では簡単なことのように思えても、長期的に見るとかえって自分を傷つけてしまい、結果手元にはなにも残りません。けれど、毬栗が落ちてきたことは自分にとって必要なことに違いないと、毬栗を調べ、前向きに動くことで、悪いことばかりでないことに後に気が付くことになるのです。そして、一度毬栗の中の栗の実を見つけた人は、次の困難な状況にも立ち向かう気力と、信じる力が養われやすくなります。つまり、良い循環がそこから始まっていくのです。感じ方次第、感じようとすることだけで物事の見え方が変わるのであれば、これを変えない手はありません。幸せは決して自分の身に降りかかるものではないのです。自分から気づき拾い上げるものなのです。

 

 

さいごに

幸せになっている人たちは、自分の身に起きたことを幸せに変える力を持っていたのです。いや、彼らからすれば、幸せなことが自分の身にたくさん起こると捉えていることでしょう。幸せは自分の中にあり、感じれば幸せになれる、という考え方を持っているだけで、物事の捉え方が変わり、人生の見え方が変わってくるということを知っているのです。幸せはただそこに在ります。作ることも手に入れることもしなくてよいのです。ただ感じて、幸せな理解をすれば良いのです。

 

KATO