【エッセイ】薔薇は生まれ変わっても薔薇だけれど、私たちが私たちでいられるのはこの人生だけだ。
『ロミオとジュリエット』でお馴染みの名言
ロミオとジュリエットのお話の中での名セリフはこうです。
私たちが薔薇と呼ぶものは、他のどんな名前で呼んでも、同じように甘く香る
家名に縛られ愛する人とともにいられない運命に異議を唱えたジュリエットのこの言葉は、
体裁や生まれた家などに縛られて生きる必要はないというメッセージの込められた名言となりました。
自分の幸せを追い求める人生観を例えるこの言葉には、どうやらもっと深い意味があるように感じます。
今日は"薔薇”にまつわる人生観についてお話したいと思います。
薔薇は生まれ変わっても薔薇だけれど、私たちが私たちでいられるのはこの人生だけ
ジュリエット曰く、薔薇が別の名前でいても素晴らしい花であることには変わりはありません。
別の名前で生まれてもきっと美しい薔薇のように、家名はただの名であって自分の生き方を縛られるべきものではないという趣旨で受け取られるジュリエットの名言ですが、ジュリエットが薔薇を例えに使ったのは本当に薔薇が美しい生き様をしているからでしょうか。
私はもう一つの解釈があるような気がしています。
どんな名で生まれても美しく生きる薔薇は何度生まれ変わっても‟薔薇”です。
しかし人間は、例えばジュリエットとロミオは、今度生まれ変わったらジュリエットとロミオでいることはできません。
薔薇は生まれ変わっても薔薇だけれど、私たちが私たちでいられるのはこの人生だけ、そういう意味も含まれているのではないでしょうか。
薔薇は薔薇だが、ローズではない。
あなたの目の前にある薔薇は枯れたとしてもただ"薔薇”であるだけですが、私たち人間は“人間”が死ぬと同時に"誰か”が死にます。
枯れていく薔薇も咲き始めた薔薇も薔薇という植物であり、だからこそどんな名前でも薔薇として生きることが明確です。
しかしロミオはロミオとして咲き、そして終わります。ジュリエットもジュリエットとして生まれ、そしてジュリエットを終わらせます。
薔薇が例えばローズという名で生きているのではない限り薔薇と人間の間にはこの大きな差があるのです。
ある意味ジュリエットは、薔薇は別の名でも次の世も薔薇として生きることができるけれど、私たちがロミオとジュリエットとして生きられるのは今だけなのだというもっと深いことを言っていたのではないでしょうか。
人類を残すことはできても、自分を残すことは誰にもできない。
一生を終えようとしている薔薇がこの世に種を残すなら、次にもまた薔薇が咲くでしょう。
私たち人間も死ぬ前に子どもを残せば、次の世を生きる人類を残せたことになります。
しかし私たち人間は人間として生きるのと同時に自分たち自身として生きています。
名前を持ち、自分という自覚を持っているのが人間です。
薔薇は生まれ変わっても薔薇ですが、人間は生まれ変わったら自分ではなくなります。
私たちは人類を残すことはできても、自分を残すことはできないのです。
自分が自分でいられる時間を大切に
私たちは今自覚している自分の名前でいられる時間が限られていることをしばしば忘れがちです。
毎日の中で起こる問題や悲しみに目を向け過ぎています。
私たちが今持つ自分自身という自意識のままに過ごせる時間が、
この一回きりの人生だけだということを自覚するときっと分かるでしょう。
今、愛するあの人とともにいられる時間が自分にとっていかに大事かということに。
自分がやりたいと思うことに今すぐにでも取り掛からなくてはならないことに。
私たちが私たちでいられる時間の尊さを忘れないでいきたいものです。
KATO