幸せ暮らしのコツブログ

幸せな暮らし、幸せになる方法を探す人のためのブログ

考え方が変わるだけで「嫌なこと」が「プラスのこと」に見えるようになる理由

f:id:greengables182:20200202090003j:plain

はじめに

人が幸せになるためには、習慣を変えることが必要ですが、中でも考え方の習慣はとても重要です。起こる物事に対してどんな判断をして、どんな行動を取るのかは、いつもの習慣が自然と出てしまいがちです。例えば、相手から言われたことが許せなかったり悔しかったりしたとき、その気持ちを抱えてうずくまっていたり、反抗したりするでしょう。しかし、その行動だけでは幸せになることはできません。起こってしまった出来事に反応するのではなく、自分の考え方を変えることや、自分自身を変えていくことにこそ、幸せになるためのヒントが隠されているのです。いつでも幸せが叶う判断ができるように、幸せになる考え方を身につけましょう。

どんな思想を持っているかで人生が変わる

思想は行動の原点

考え方の慣習、つまり"思想”はその人の行動の源です。自分のことを幸せだと感じることができるならば幸せになれますし、自分のことを不幸せだと考えるならば不幸せであるほかないように、自分がどんな考え方を持っているのかは、幸せになるために重要なポイントと言えるでしょう。幸せになっている人は、考え方次第で幸せになれることを知っているために、幸せになるための考え方を持っています。実は、「幸せになるための考え方」とは、この状況をどうしたら幸せと呼べるだろうかと考えることです。これは、「嫌なこと」が起こっていても、そそれをどうとらえたら「プラスのこと」に捉えられるかと考えることなのです。起きてしまった出来事を変えることはできません。でも自分の考え方は変えることができます。現状を「どう幸せにするか」を考えることとはつまり、「いかにポジティブに考えるか」とも言えるでしょう。そうしたら自ずとポジティブな行動ができるのです。

ネガティブな思想が起こすこと

f:id:greengables182:20200410122743j:plain

誰かを責めたり、悪口を言ってしまう

ネガティブな感情の力の大きさは馬鹿にできません。湧いてきた感情はそのままそこに在るだけでなく、行動を起こしてしまうからです。誰かを責めたり、悪口を言ってしまったりとどうしようもないことばかりです。言われたくないことを言われたからと、感情が高ぶって出てきてしまった言葉は後悔の種になりやすくもあります。蓋を開けたら最初の頃よりも状況が悪化していたなんてことも起こりえます。ネガティブな感情が起こしがちなこれらの行動は、自分だけでなく周りの人間をもネガティブにしてしまいます。まさに無意味なことなのです。

落ち込む

誰かを責めたり悪口を言ったりした後で訪れるのは、暗い気持ちです。ほとんどの人は経験済みだと思いますが、怒ったり避難することは、一見すっきりしそうなものですが、実際は全く逆です。ネガティブな感情が引き起こした行動とともに、この感情が支配するのはその場限りの心ではなく、後味をも悪くします。落ち込んだ心では自分に自信を持つことも、何かに積極的に取り組もうと思うこともできません。

ポジティブな思想が必要な理由

幸せになるためには、自分を傷つけること、誰かを傷つけることをしないことが必要です。ネガティブな気持ちに支配されて、誰かに心ない一言を浴びせたり、陰口をたたいたりすることは相手を傷つけることです。そしてその後味の悪さは、自分の心をもむしばみます。つまり、ネガティブは何も生み出しません。だからポジティブが必要なのです。ポジティブにいることができれば、誰かの良いところを見つけようとできるはずです。そして人を大切にできる自分のことを、自分は誇らしく思えるはずです。いろいろなことに積極的に取り組む気持ちも生まれるでしょう。ポジティブは、全てのことの生みの親なのです。

幸せになれない「嫌なこと」止まりの思想

相手を認めない

例えば、会社で自分より優秀なビジネスマンを見つけたとします。自分よりデキることにやっかみを覚えて、陰で悪口を言ったり、足を引っ張ろうとしたりすることを選択する人もいるでしょう。自分より優れている人がいる状態というのは、人によっては嫉妬の対象や自分の昇進の邪魔というような「嫌なこと」と捉える人もいます。しかしその時点で、彼を超えるような業績を上げることは自分にはできない、これから先自分は彼を超えるような努力もしないと、自分自身で思いこんでしまっているということにもなります。負けることは良いものではないと思います。しかし、その「嫌なこと」を「嫌なこと」止まりにしてしまっているのは自分自身なのです。

自分のミスを認めない

「認めない」ということほど「嫌なこと」をただの「嫌なこと」止まりにさせるものはありません。自分のミスを認めない人はこの先もずっと「そのミスを認めない」地点に居続けるほかありません。その上に知識や技術を重ねても、結局いつかはまた過去にミスを認めなかった地点まで落っこちます。でも、ミスを認めた上で解決する術を探せる人は、その地点よりも確実にずっと先に進むことができるのです。夫婦喧嘩も一緒です。喧嘩は双方の責任で起こるものです。どちらか一方が責められている状態はもはや喧嘩とは呼べません。しかし、喧嘩をしたという認識があるのであれば、少なくとも自分にも非があるはずです。この際どちらが先に始めたかは関係ありません。仮に相手が喧嘩腰だったにしても、あなたもそれに対抗してひどいことを言ってしまったり、喧嘩になるような種をあなたが作ってしまっていることもあるでよう。非があるならば、それを認めることが大切です。そうして自分の非を認められたなら、「嫌なこと」は別の何かいいモノに形を変えていることでしょう。

言い訳をする

自分のミスを認めないことと同様に、言い訳をすることも幸せになるためのポジティブなこととは言えません。言い訳は、自分の非を認めていないことと繋がっています。「自分は○○したいけれど、△△だから〇〇できない」という状況は、△△の部分を自分にはどうにもできないことと考えてしまっているからです。例えば、私も悪いところがあったから謝りたいけれど、Aさんも悪いのに謝らないから謝れない」というのは、自分の非を一見認めているようで、結局認めていないことと同じです。また、「本当はできるのに、◇◇だから今回はできなかった」というような言葉も、できなかった自分を受け止めることができていません。自分が前に進みたいのであれば、まずは認めて受け止めることが大切なのです。言い訳をするということは、起こっている「嫌なこと」である「自分の非を認められない自分」や「無能な自分」で止まっていることと同義です。

「嫌なこと」を「プラスのこと」に変える思想

f:id:greengables182:20200410211247j:plain

認める

自分よりもできる人がいることを認められることは、自分のできなさをクローズアップさせることではありません。プラスの捉え方は様々ですが、例えば、相手の素晴らしさを称えられる心を持った人間と言えます。認めることで誰かが自分より優れている部分を事実として冷静に認識することができ、自分より秀でている人から学ぶチャンスを得られます。「自分にもできる」「お手本があることは助かることだ」と、自分が前に進むための教科書として彼を見ることができるようになります。影でやっかみを言うよりもずっと前に進むことができます。
自分の非を認めることも勇気がいることですが、「自分にはできない」「自分が悪い」という「嫌なこと」をそのままにすると、かえって自分や周囲の認識がそこで止まってしまいます。「○○ができなかったけれど、それを改善しようと頑張っていた」「悪いところを悪いと認める懐の深い人だ」と、自他ともに尊敬できる人になれるチャンスでもあります。

全て学びの機会だと思う

誰かを認めたくなかったり、自分のミスを受け止められなかったり、言い訳をしてしまうのは、それによって自分自身を深く追い詰めてしまうからだと思います。自分自身を鼓舞することは時に大切ですが、そんなに自分を責めなくてもよいのかもしれません。そしてむしろ自分に対しても他人に対しても、責めるという行為で得られるものは少ないでしょう。「なんで自分はこんなにできないんだ」「なんであの人は言った通りにできないの」とイライラする前に、目の前のことから何を学べるかを考えてみましょう。この考え方を持つことで、自ずとポジティブになれます。「学び」は、「嫌なこと」を「嫌なこと」止まりにさせない、未来ある行為です。そもそも学びは「失敗は成功の母」とも言うように、失敗や嫌なことの中にこそあるものだからです。起こったことから「学ぼう」と思う心がけだけで、自ずと自分も他人も責める必要はなくなり、建設的・前向きな「プラスのこと」と捉えることができるのです。

感謝をする

f:id:greengables182:20200117103155j:plain
誰かに怒られたり、言われたくないことを指摘された時、その人を「なんて人だ!」と非難したくなる気持ちは分かります。けれどそうやってその人に矛先を向けることで得られるものは、皆無と言っていいほど何もありません。むしろその人を攻撃することで、言われていることの本質を見逃し、自分が成長する機会を失うことにもなりかねません。確かに、ぐさりと来ることを言われるととても嫌な気持ちになりますが、逆に考えれば、そういう類のことを指摘してくれたということは感謝にも価すると思いませんか?言い方に惑わされずに、言われたことを理解しようとしてみると、案外最もなことを指摘してくれているかもしれません。言われた「嫌なこと」を冷静に考えれば、的を得ていることもしばしば。それに気がつくことができれば「プラスのこと」として捉えていくことが可能になります。

解決策を探す

物事がスムーズに運ばず待たされているときなどは、自分のスケジュールが狂いイライラしがちな時です。そんなとき怒鳴ったりイライラしたりしているだけでは、スケジュールが崩れただけでなく、無駄なエネルギーを使うことになり、生産性の悪いことを増やしてしまいます。でも、その空き時間を使って別の用事を済ませたり、普段ゆっくりできないことをゆっくりしてみたりと、その時間の有効活用を考えれば、スケジュールが崩れただけで済むか、むしろ本来のスケジュールよりも濃い時間を過ごせているでしょう。ミスが起こった時も同じです。ミスを叱るよりも先に解決策を考える、ミスに落ち込む前に解決策を考える、これが結果的に「嫌なこと」を最小限に抑え、「プラスのこと」へと変えられる一番の方法なのです。

「プラスのこと」に変えるために必要な+αなこと

自分の気持ちを素直に知る

自分の気持ちに素直になって紙に書き起こしてみると、見栄や強がりのない自分の言葉は、単純に悲しさや切なさを表現した言葉となるでしょう。「嫌なこと」をされた相手にぶつける時には、自分の気持ちを見栄や強がりで固めた言葉が、相手に対する攻撃の道具となります。しかし、紙にぶつけてみると本当の自分の気持ちと事実が分かります。感情が高ぶったのは相手を愛しているからだったり、自分も気にしていたことだったり、するものです。紙に書き出してみることで、本当の気持ちと事実が分かることで改善するための第一歩を踏み出すことができます。

時間を味方につける

どうしても相手に言われた一言に対して言い返したいと思ったときは時間を空けましょう。自分にとってネガティブなことを言われたとき、よっぽど訓練をしていない限り反射的にその言葉に反応をしてしまいます。つまり、逆に相手を傷つける言葉を言ってしまったり、悪態をついてしまったりと、「自分の気持ちをすぐに伝える」というのは難しいものです。また、自分が動揺しているときは、相手も動揺や気持ちが高ぶっている可能性があります。そもそもトラブルが起こるような発言がなされるということはその人に余裕がないということでもあるため、お互いに話し合うには良いタイミングとは言えません。時間を空けてみることで冷静になることができるのは相手も同じです。時間を空けることで客観的に捉えることができるのです。

さいごに

f:id:greengables182:20200202110318j:plain
起きている事柄は点ではありません。多面であるはずです。上に見えている1つの面を見て反射的に判断するのではなく、転がして他の面も見てみることで、その事柄の新たな可能性を引き出すことができるのです。それをする鍵が"考え方”。自分の進む道のど真ん中に落ちてきた岩を力づくで避けて進むことは、最初の頃の小さい岩ではそれができたかもしれません。でもだんだんと責任や役割が大きくなるにつれて岩も大きくなり、力づくで持ち上げることができないほどになったとき、諦めてそこに座り込んでしまう前に考え方を変えてみるのです。きっとそこには幸せになるための道に進む小さな隙間やアイデアがあるはずです。周囲の環境が勝手にガラリと変わることはないですが、自分の考え方に少しプラスするだけで、結果的には見え方が変わり、周囲の環境が変わっていくはずです。

ネガティブな状況は誰にでも起こりえますが、幸せになるために「嫌なこと」を「プラスのこと」に変える努力は誰にでも可能なはずです。ネガティブに見えることも、考え方ひとつで状況の見え方が変わります。起こった状況自体を変えようとするのではなく、自分が変われば状況も変わるものです。起きてしまったことや人のことはあなたには変えられません。あなたが変えられるのは、他でもない自分自身だけです。できることがあるとするならば、その自分の考え方を変えてみることなのです。


KATO