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自分以外の何かを変えようとするよりも、自分を磨き、自分らしく在ることが良い人間関係の一番の近道である理由

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はじめに

孟子が説いたと言われることわざの「去る者は追わず来る者は拒まず」は、自分のもとから去っていく者を引き留めず、また自分についてきてくれる人を拒まないという懐の深さを表していることわざです。同時に、流されない生き方についても教えてくれているのではないでしょうか?つまり、誰かを遠のけようとしたり、誰かを取り込もうとしたりと小細工をするよりも、自分らしく生き続けることに、真の人間関係を築けることを教えてくれているのでしょう。

「去る者は追わず来る者は拒まず」が教えてくれること

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受け入れるということ

このことわざは、人間関係において、自分が誰かに対して攻撃もしなければ拒絶もしないという姿勢です。行っているのは「受け入れる」ということのみ。状況に流されずに、ありのままの自分であり続けることだけしているのです。ありのままの自分で居続け、自分が今すべきだと思うことをし続けながら、その間に起こる様々なことをただ受け止めます。誰かを取り入れたいから甘い態度を取ったり、誰かを仲間外れにしようと企むようなことはしません。良い意味で自分からは何もしません。ただ、ありのままで良いのです。

自分を高めるということ

「去る者は追わず来る者は拒まず」という姿勢は、起きている事象に惑わされずに、何が今必要なことなのかを考え、自分のあるべき姿を模索し続けています。つまり、自分を磨き自分を向上させていくことこそが、自分にとって心地よい人間関係を築く最善の方法であるということなのです。去っていく者の気を引くために言い訳をしたり、その人だけ甘やかしたり、その人の悪口を言ったりするような関係は、結果的には上手く人間関係を築くことができません。私たちはそのような暇はないのです。それよりも自分自身がいろいろな状況を受け止められるような器になり、何事も前向きに捉え、自分を磨き上げることに時間をかけることで、その魅力に気がついた人が集まってくるのです。

気がつけば乗り越えているということ

映画【トスカーナの休日】でキャサリンという女性のこういうセリフがあります。
「When I was little girl, I used to spend hours looking for ladybugs. Finally, I'd just give up and fall asleep in the grass. When I woke up, they were crawling all over me,」
「小さい頃、何時間もテントウムシを探してそのまま草むらで眠りこんだことがあったの。目が覚めると体中にテントウムシがいたわ。」
一生懸命目の前のことに取り組んでいる人には、結局求めていたものが集まるということなのですが、つまり、自分のあるべき姿に身を置き、やるべきことに注力すれば、結果的には自分の欲しかったものが手に入ることを示唆しているのです。


人間関係を変えるための捨てたい考え

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相手を「自分の領域」と考えること

世の中にはたくさんの関係性があります。会社の上司部下、友達、恋人、夫婦、家族…。生きることと切り離しては考えられない関係性だからこそ、一緒にいる時間も長く、つい相手の悪い癖や悪い習慣が気になってそれらをやめさせようとします。一緒にいる時間が長いからこそ、相手が1人の独立した人間であることを一瞬忘れてしまい、自分の暮らしの一部、ひいては自分の一部だと思ってしまうのです。自分の一部であれば自分がどうにかできるはずですから、相手の範囲に踏み込んでいるとは夢にも思いません。エレベーターで数分一緒の空間にいた知らない相手のことなら、きっとスルーできることでしょう。自分の外の世界の人を変えることは無意味であり、不可能とすら思っているはずです。しかし、身近な存在にはそれが可能だと思い、自分の考え方や習慣を押し付け、すれ違いが起こり始めます。

自分の領域化の代表例「夫婦」

本来自分以外の誰かの性質を変えることは不可能です。でも、身近であるがゆえに自分にとって手の届く存在と思いがちです。「夫婦」は、エレベーターに偶然乗り合わせた男女が、互いに自分の領域化しやすい関係です。はじめはスルーできたり、自分との違いを尊重できたことでも、だんだん自分の領域化していくことで相手に改善を求め、期待をしてしまいます。改善されない時、自分の領域の中でうまくいかない事柄が発生した気持ちになり、つい小言を言ったり、文句や嫌味を言ってしまいます。身近であるがゆえに、自分にとってコントロールできる存在と思ってしまい、思い通りにいかないことにストレスが溜まっていくのです。

人間関係を変えるために必要な「さまざまな視点」

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新しい環境なのは自分だけではない

人間関係で悩みがちな、新しい環境。自分が新しい環境に飛び込むとき、どうしても自分の大変さを中心に考えてしまいがちですが、新しい環境においては、新しい人が入ってくる古参のメンバーにとっても、馴染みの場所が"新しい環境”となっていることを覚えておきたいものです。当然古参のメンバーも、新しい相手を前にどう接したら良いのか悩みますし、人見知りの人であれば、なおさらに慎重に接するでしょう。仲良くなりたいがために、無理をして中身のない会話をしてみたり、無理やり距離を詰めようとしてみたりすることで、かえって本当の自分を見せる機会を失ってしまうことがあります。関わりづらいオーラは出さないほうがよいですが、頑張りすぎることも逆効果です。誰しも好意を持たれることは嬉しいことだといいますが、同時にそれぞれに"領域”をもっており、それを越えて入ると拒まれるともいいます。あなたが来ることで新しい環境に飛び込むことと同等な状況に置かれている相手のことを思いやる「やさしさ」も必要ということです。

やさしさという「新たな視点」

世の中には"困難”という大きなサイコロがたくさん転がっていて、人間はそれらにぶつかりながら生きています。
そしてぶつかったさいの目の一方を見て「1」だと言い張り相手を非難しますが、相手にとっては「6」であり、「1」であることを理解することはできません。同じサイコロを目の前にしているのに見えているものが違っているのです。「やさしさ」はそんなサイコロで塞がった道の上に、橋を架けてくれるものです。橋を渡って相手側に行くことで、相手に見えている「6」を見に行けるようにしてくれます。「1」しか見えていなかった私たちは「6」の存在を知り、相手を慮ることができるようになるのです。そして「やさしさ」によってもたらされたその橋は、必ずいつも相手が預かってくれます。そしてまた困難に出遭ったとき、相手もその橋を架けて渡ってきてくれるのです。

「やさしささえあれば、やらなきゃならねえことは、キッとやるもんだ」

これは、「モチモチの木」という、隆介さん作で、滝平二郎さんが挿絵を描いている絵本に出てくるセリフです。「やさしささえあれば」。本当にそういうものなのかもしれません。自分から見た局面だけでなく、相手の立場からの視点は、やさしさがもたらすものも多くあります。
やさしさを持っていれば、相手への憤りが必要のないものであると分かり、治めることがきっとできるはずです。育った環境や考え方の違いなどのおかげで、相手のことがどうしても理解できないと思えることもあるでしょうが、それでも分かり合うための術を私たちは持っていたのです。怒りや憤りなどのマイナスの感情は、自分の思い通りにいかないと思った時に起こる感情で、それは相手から見える景色を見ようとしていないことによるものが多くあります。だからこそ「やさしさ」で相手側へと橋を架け、相手の目線で景色を見ることで、困難の本当の原因を理解し、むしろ自分の悪い部分や自分勝手なところを直す目線を手に入れることができるのです。
「やさしさ」を持ち、自分らしく在り、自分を磨くことは、全て相手を変えようとするものではありません。自分の理解力を深め、自分らしさを磨く、全て自分自身を高めることです。


「去る者は追わず来る者は拒まず」で自分の領域に徹する

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自分を変える、成長させる勇気を

大切な認識は、夫は身近な存在ではあるけれど、1人の独立した人間であるということです。自分の世界、自分の思う通りに行くと思うからうまくいかないことにイライラしてしまうのです。何度も言うように、相手のことは変えることはできないのです。自分以外の相手のことを変えられるという考えは、人間関係において捨てたい考え方です。そうすれば、夫の習慣を直すのにも、自分にできる工夫を考えるようになります。夫の習慣に付き合って、小言を言ったり文句を言ったりして、ちょっと嫌な自分になるくらいなら、いっそのことそれさえも受け入れてやってあげるイイ女になってしまいましょう。自分の領域に徹することで、前よりも素敵な自分になれるチャンスも増えるはずです。

相手を信じないわけではない、自分を信じる

「相手を変えることは不可能」は相手を見限ったという意味ではありません。むしろ相手のことを大切にするための考え方です。相手が持っているボールをしがみついて取ろうとしたって誰かが傷つくだけです。自分が持っているボールで相手にアプローチすることが大事です。変わらないものを変えようと思って時間や友情をダメにするよりも、自分を変えることで状況を変える努力をしたり、そうすることで自分を成長させる方がずっと生産性があります。そして、意外にも自分の行動を変えれば周りが変わるものなのです。自分の在り方をどうするか真剣に考えて取り組むことで、自分のことを信じた作戦を立てることができます。きっと自分は状況を上手く乗り越えるはずです。

人間関係は「自分」である

自分を映す鏡、人間関係

友人関係は変化するものです。「人は自分を映す鏡」と言ったものですが、自分が変われば鏡の映し出すものも変わってきます。自分が興味あるものが変われば、自ずと友人関係も同じ興味関心を持つ者が集まります。反対にそのスタイルが合わないと感じた友人は去っていくかもしれません。そしてそれでもあなたを好きで居続ける人もいることでしょう。つまりは、人間関係は自分を映している、自分あってこそのものなのです。人間関係を壊したくないから自分自身の向上や変化をやめてしまうよりも、自分を高めることで得られる友や変わらずに側にいてくれる人を大切にする方がずっと高尚で大事なことですよね。

自分を映す鏡を磨くよりも自分を磨く

人間関係が自分を映し出したものであるとするならば、去る者に関心を注ぐことや、来る者を歓迎できないということは、自分のもとに居て欲しい人を選り好むような行為で、自分を映す鏡を磨いているようなものです。鏡とは本来、実物を映し出すものです。つまり、鏡を磨いても実物が良くなるわけではありません。反対に自分を磨くことで、鏡の中のモノは変わることでしょう。自分の事を本当の意味で理解し、本当に支えてくれる人がたくさん映るはずです。鏡の中に映るものを素敵なものにしたければ、自分自身を磨く他ないのです。

さいごに

人間関係には、生きていれば誰もが必ずと言ってよいほど悩まされます。自分らしくない行動をとったり、小細工をして人間関係の"見た目”をよくしようとしたりした経験もあるでしょう。しかし、本物の人間関係は、本当の自分の上にしか築かれません。今の自分で満足な人間関係が築けないのであれば、それは自分の成長のタイミングと言えるでしょう。「去る者は追わず来る者は拒まず」は、自分以外の何かを変えようとする努力よりも、自分自身の目の前のことをきちんとこなし、自分を成長させることに対する努力をするべきだと、そう教えてくれているのかもしれません。

KATO